デザイン

2月末に書こうと思っていたのに、気持ちが落ち着かないことが色々あり、日が過ぎていく。2月23日の糸井登さんの還暦記念セミナーでのグラフィックのことや、場づくり、ファシリテーションについての石川さんの考察。

suponjinokokoro.hatenadiary.jp

 

石川さんの「構造を見る・読む視点」に、いつも衝撃を受ける。

これまでも、学校に来ていただき、合唱曲や文学作品、説明文、映像、そして授業や場づくり。それら全てを構造的な視点で分析を加えることで、見えてくる世界が変わることを教えていただいた。構造に目を向けることで、見える世界が、全く異なってしまう。例えば「入り口と出口は同じがいいよ」と、卒業式前には、1年生で読んだ絵本を読み聞かせることを奨められた。先日の、公開授業前の国語科「プラタナスの木」の事前研では、黒板の逆Yチャートが、「根っこ」になっているのは、物語の内容と板書が構造的に対応しているということを指摘された。

 

ああ、いかに、私たちは、見えていないのか。見えていない中で、ああだこうだと言っているのか。思い知らされるのだ。毎回、毎回。

 

そうして、私は、これまで「構造」を読む、デザインするということについて、文学作品を読むことや、授業の分析、研修会づくりを通して学んできた。だから、今回の場づくりも、石川さんからの学びが生きた場だったのだと思う。

 

ただ、あまり、そういうことを、言語化したり、意識的にやったりすることが苦手で、

この前のグラフィックも、いつものごとく、思いつきと感覚でやっているような感じだったので、こうやって、クリアに言葉で説明していただくと、ひええっとなる。本当に、いつもながら場を見る視点が独特。さすが石川さん。

 

少しだけ、私のストーリーを話すとすると、この日の企画については、いくつかアイデアがあった。午前中の私の担当は、約30分程度。考えていたことは次のようなこと。

キーとなるコンセプトは「出会い」。これは、その日も話したけれど、糸井先生という人を象徴する言葉だと思っていたので。では、具体的に、どんなワークをするか。

 

一つは、私と糸井さんの関わりの一つが「演劇」であったので、参加者の方に、糸井先生との出会いのエピソードを、静止画にしてもらい、パフォーマンスをする、ということ。もう一つは、ヒストリーを可視化したヴィジュアル・アートとして表現できないか、ということ。さらに、その場に集った人に「人間ものさし」をしてもらい、それぞれの方の糸井先生との「出会い」を共有できると、そこから糸井実践が浮かび上がってくるのでは、ということ。あと、せっかくの社会科教師として、歴史を丁寧に教えてこられた糸井さんの会なので、年表のような記録を残したいということ。ごちゃごちゃと考えて、決められずにいた。取捨選択が苦手。

 

結果的に、その日の吉川さん・川本さんとの朝の打ち合わせで、私の「人間ものさし」は、ウォームアップがいいだろいうことになり、最初のワークに決定。演劇人の蓮行さんにもワークをお願いしていたこともあり、演劇系のワークの選択肢は捨てて、「人間ものさし」で、それぞれの糸井さんとの出会いを語ってもらい、それを、年表に位置付けてもらう、ということになった。石川さんのブログに書かれている通り。

 

「年表」のアイデアには、二つのヒントがあった。 

一つは、2016年夏に参加した、PETA(フィリピン教育演劇協会)主催のInternational People's Theatre Workshopでの初日のワーク(ワークショップは、約1週間の内容だった)。

部屋に入ると、翌年50周年を迎えるPETAの 歴史の記録が写真のように上段に貼られていた。1967年の設立から現在に至るまでのPETAにとっての重要な出来事が記されている。PETAでは、コミュニティや人々の歴史を尊重しながら実践が行われている。最初に年齢を聞きあうワークには驚いたけれど、その人の生きて来た年数や、年代の記憶、文化を、とても大切にしているからだそう。

 

その後、参加者の私たちは7枚の短冊を渡され、そこに、「自分の人生における3つの社会的に重要な出来事」と、「4つの自分の個人史における重要な出来事」を書き、PETAの歴史を響き合う形で貼っていった。貼り終わって、ランチ。その後、午後から2時間ほどかけて、参加者一人一人が、自分が貼った7枚について、語っていき、それをひたすら聞きあった。それは、なぜ、私がここに立っているのか、ということを示す出会いのワークでもあった。同時に、そんなヒストリーを持つ私たちが、今日、ここで出会い、協働的に何を生み出せるだろうか、ということを探る手がかりとなる時間でもあった。

 

f:id:Yuka-QP:20200308151509j:plain

IPTW2016 International People's Theater Workshkp

もう一つのヒントは、2013年4月に行われた中学時代の同級生、あやちゃんとあらいくんの手作り結婚式での壁面装飾。同郷で中学2,3年同じクラスだった二人の結婚式。受付の後、一人一人写真を撮って、その写真を、自分が二人と出会った年代の所に貼り付けるデザインになっていた。最初は2本の赤い糸が、もちろん、最後には、結び合うようになっている。とても素敵な企画だったので、印象に残っている。
 

f:id:Yuka-QP:20200308155545j:plain

中学時代の同級生あやちゃんの手作り結婚式

ということで、あの年表のレコーディングは、過去に出会った色んな実践にヒントを得て実現したことだった。

私は、場をデザインすることや仕組みを作ることは、とても好きだけれど、最初からデザインがあって、それに合わせて行動する、という感じては全然ない。今回のことも、結局、自分では決めきれなくて、打ち合わせやその日の状況で、結局、即興的に決まっていく部分が大きい。で、結果的に、後付けで、デザインが決まる。今回の場合だと、本人も、言語化できず、意識していないことが、石川さんという人によって、発見された。

実は、今、美濃山小の公開研のデザインについての文章を書いているのだけれど、これもまた、参加者の方から、デザインの意味合いや機能性、効果について、教えてもらった。企画者本人には見えていないものも、随分とあるのだと思う。いや、プロのデザイナーは、そういうのも、見えているんだろうけど、私は、言われて初めて、気づくことが多い。まあ、そんなものなのかな。ユーザーの方が、デザインの優れた点とか、いけてない点とか、よく気づくんだろうな。で、それをフィードバックして、洗練されたデザインになっていくのかな。

 

いつも行っているヨガスタジオもお休みになり、学校も休み。行き詰まり感が大きく、気持ちが滅入る。救いは、春の匂いがすること。

 

ハクモクレンを、見たい。

2015年に見た、三鷹台のハクモクレン。 

https://www.instagram.com/p/0hgcDuC8aD/

 

三鷹台のハクモクレン。きれい。

手放す

 

 

小さな、小さな、見えない傷

ないもののように振舞っている

怒りもしない、反発もしない

取るに足りない傷だから

けれども、いちばん自分にとって大切な部分が

蝕まれ続けていくようにも思う

気づけば、意欲を失い、使命感さえも見失ってしまいそうだ

そういう支配の方法なのかもしれない

そして、わたしたちは、そういうふうに、誰かを支配しているかもしれないとさえ思う。

意図も、意識さえもすることなく。

自分が大切にしてきたもの、つくってきたものさえも、

自分の手で壊したくなっている。

望まれるのなら、全てをきれいに消し去って、

なかったことに。

執着はない。

これが、手放すということなのだろうか。

2年前に描いた「手放す」というテーマの絵は、

こういう意味だったのだろうか。

自分と問題を切り離して考える、ということは大切で、

そういうレッスンを、してきたということなのかもしれない。

旅立つ時だと思う。

ずっと前から、そのことには、気づいている。

 

https://www.instagram.com/p/Bfk5dNWD1TL/

一年後。

2018年の春に描いた絵。

2年越しのHand Over.

 

手帳

新しい手帳をおろす。

赤色。

後半のノートの部分に、願いごとを書く。毎年恒例。

 

冬休みにやりたかっことは、全然終わってないけれど、

明日から仕事。

きっと、仕事が始まる方が、色んなことが進み始める。

休みが続くと、眠れなくなるし、起きれなくなる。

寝付けないのがつらい。

多分、あんまり疲れないので、寝付けないのだと思う。

毎日、疲れ果てて、ことりと眠りに落ちたい。

書籍執筆、ちょこちょこ修正。

too much emotionalな文章を直すのが、また難しい。

帰宅後の日常生活の中に、その時間と集中力を確保していけるようにするのが、明日からの課題ね。

 

散歩道

実家に帰ったら必ずする愛犬快くん(かいくっく)のお墓参り。

亡くなったのは2009年の2月なので、もうすぐ11年経つ。
彼との散歩道は、猪や鹿対策の金網が張り巡らされ、私の知っている、そして、私の愛する散歩道ではない。その悲しみとやるせなさを感じつつ、それでも、毎回、帰省の度に歩く。

風景も思い出も私のものだけれど、この道は、私のものではないのだ。

坂を登り、鱒留川にかかる橋を渡り、太陽の沈む方へと歩き、彼が眠っているところまで歩く。

手を合わせ、話しかけてみる。

彼は生きていた頃、彼は私のよい聞き手だった。

泣いていたら涙をぬぐうように顔中をなめてくれた。

毎日、私の帰りを、おおはしゃぎして、歓迎してくれた。

中学、高校生の頃、家に帰りたくない時、歩き続けたい時、ずっと散歩につきあってくれた。

大ゲンカして、噛み付かれた傷は、今も右腕に残っている。

もちろん、その出来事も傷も含めて、私は彼を愛している。

 

 

f:id:Yuka-QP:20090225000618j:plain

f:id:Yuka-QP:20090221013239j:plain

晦日の帰省。仏壇の掃除、買い物、母と歌を口ずさみながらの紅白視聴、

新年の挨拶を終え、夜には八幡に戻る。私の帰省は、とてもQuick。

それは、自分が一人で暮らす家がすばらしく居心地がよいから。

そして、日常を愛しているから。

特別なハレの日は、多分、子どもの頃から、少し苦手なのだと思う。

できるだけ、日常に戻りたい。

自分が自分らしくいられる場所は、自分で選ぶ。自分で整える。

一番自分らしくいられ、一番いいパフォーマンスが生み出せる場所。

家に帰ったら、自分の家と部屋に話かける。

大好きだよ、去年はありがとう。今年もよろしくって。

きっと、この家も、私のことが大好きだと思う。

私は、色んな物に、人に、世界に、大切にされている。

本当に恵まれている。
そのことに感謝をしながら眠りについて、世界に愛を届けられる人になりたい。
誰かのために、働きたい。

手を動かす

 なかなか原稿が進まないので、家にあったさつまいもで久々にスイートポテトを作ってみる。子どもの頃、よく作って食べていた。オーブンだと、うまく焦げ目がつかないのが残念。マッシャーもなくて、うまくつぶせず、ごわごわした食感。でも、ちゃんとスイートポテトの味がする。

 

 インタビューの文字起こしをしようと色々アプリと格闘するが、結局、自分で手でうつことが速い。ちょっとずつ、ちょっとずつ、作業を進める。

 

 今年は地道に片付けと掃除をし続けたので、特に大掃除も必要なし。いくつか、古い(ときめかない)洋服や、溜め込んでいた書類関係を捨てる準備をする。それにしても、勉強しないといけないのに、家の掃除をしたり、料理をしたりしてしまうのは、本当に、どうしてかしら。部屋はきれいになるけれども。ウォームアップと思って、手を動かし続ける。

 

 料理をしながらナイツの漫才を聞く。今年は、ナイツのちゃきちゃきレディオもたくさん聴きました。時事ネタ盛り込んだいい具合のおとぼけの喋りが好き。明日からQuick帰省。お盆ぶりの京丹後。

f:id:Yuka-QP:20150101140727j:plain

2015年のお正月。すごい雪だった。寒すぎた。

 

再会

睦月。

片付けブームがやってくる。

無性に片付けがしたくて、こんまり動画を見たり本を読んだりする。

インフルエンザにかかって、楽しみにしていたみどりちゃんに来てもらう校内研修を休まざるを得なくなる。

日経WOMANブームも再来。

生活や居場所を整えることにエネルギーが湧く。

20歳になった彼らとの再会。過去との対峙。

 

yuka-qp.hatenablog.com

 

 

如月。

懐かしい友人から大事な相談を受ける。

朗読のワークショップを受ける。

感情が動く。

ばったり再会。

因縁というものがあるのだと感じる。

 

弥生。

朗読公演。『チェルノブイリの祈り』を読む。

 

yuka-qp.hatenablog.com

 

卯月。

過去との対峙again.

実家に帰って片付けをする。

捨てられなかった物、手をつけられなかった物に手をつける。

初任の頃とてもかわいがってくださった先生との再会。

一発目の公開授業。「白いぼうし」。

私は、『車のいろは空のいろ』のシリーズが大好きだと思う。

子どもたちのつくった『星のタクシー』の音読劇があまりにきれいで、涙ぐむ。

 

皐月。

英語DEドラマ『The Greatest Showman』でアン役。

ミュージカルの楽しさを味わう。

 

水無月

同僚に声をかけてもらい、ヨガを始める。

重く、痛かった身体が、どんどん軽く、健やかになる。

授業研1本目。算数へのチャレンジ。私自身も色々学ぶ。

 

 

文月。

校内研修 渡辺先生による『わすれられないおくりもの』と、

真澄先生による『The Lion King』。

エネルギーの高い、忘れられない時間。

京田辺シュタイナー学校でオイリュトミー講座3日間。

自分を見つめ直す時間。

 

葉月。

初任の頃お世話になった先生の勤務校に講師として呼ばれるうれしい時間。

同僚の結婚式のムービーをつくる。

そして、相変わらず、片付け。

 

yuka-qp.hatenablog.com

 

 

長月。

2009-2010の2年間を担任した子が21歳になり、サッカーを教えに来てくれるという再会。一緒に英語劇を作ったこともある思い出深い子で、感激する。

さらに、2015年に担任した子が高校で演劇部に入り、「きょうはくじょう」という名の舞台の知らせを届けてくれ、観に行く。

時を経て届く、思いがけないギフト。

研究授業2本目。「手品師」。協同で創るからこそ生まれるもの。

 

神無月。

懐かしい友人と再会。

勤務校で、真澄先生による『オズの魔法使い』のワークショップ for 4年生が始まる。

研究助成も通る。

夢が叶っていき、うれしい。

研究授業3本目。「お手紙」。幸せな時間を共有する。

書籍執筆に力が入る。

 

yuka-qp.hatenablog.com

 

霜月。

エデュコレ、書評、ミュージカル、引率行事、と、色々秋は忙しい。

過去との再会。

予想もしなかった場所を訪れる。

伏線の回収と物語の編み直し。

 

師走。

友人3人で天王山に登る。

願いが全て叶えられていくような不思議な時間。

ギフト。

yuka-qp.hatenablog.com

 

過去との再会の多い年。

年明けから、ずっと、ずっと。

過去に何かしらのわだかまりや、解決できないままの感情を持った関係の人とは、

必ず、再会し、それらをほどく時間がやってくるのだろうか、と感じたほど。

この流れは、まだまだ続いていくような気もする。

 

『道ありき』をひっぱり出してきて、また読んでいる。

2004年の年末年始。大学生だった私が、アメリカの長距離バスの中で泣きながら読んだ本を、その後も、幾度も、幾度も読み返す。

江國香織三浦綾子

学生時代に大きく影響を受けた二人の作家を、私は、人生の岐路に立っていると思った時、何度も読み返す。

15年前の私と、それほど変わっていない年末。 

しかし、15年前の私が、想像もしなかった未来を生きている。

yuka-qp.hatenablog.com

 

f:id:Yuka-QP:20111118084913j:plain

 

 

 

 

 

絵葉書

探し物の途中で、昔書いた文章ファイルを見つける。

 

徒然草」と題したその ファイルには、約3ヵ月の出来事がわりと丁寧に記録されている。読んでいて恥ずかしくなるような赤裸々な内容もあれば、思わず涙ぐんでしまう部分もある。あれから、随分と時が経った。あの頃の私は、今の自分がこんなふうな心持ちでこの文章を読み返しているとは想像もしていない。ただ、必死に、毎日を生きていた。そして私は、あの頃と同じ音楽を今日も聴いている。

 

探し当てた絵葉書を飾る。

いつかの私を励ましてくれた外国からのたより。

返事も書かないまま、何年も過ぎた。

 

気づけばパスポートの期限が切れていた。

更新に行こう。

f:id:Yuka-QP:20160504171045j:plain

行ってみたい場所があるから。