実家に帰ったら必ずする愛犬快くん(かいくっく)のお墓参り。
亡くなったのは2009年の2月なので、もうすぐ11年経つ。
彼との散歩道は、猪や鹿対策の金網が張り巡らされ、私の知っている、そして、私の愛する散歩道ではない。その悲しみとやるせなさを感じつつ、それでも、毎回、帰省の度に歩く。
風景も思い出も私のものだけれど、この道は、私のものではないのだ。
坂を登り、鱒留川にかかる橋を渡り、太陽の沈む方へと歩き、彼が眠っているところまで歩く。
手を合わせ、話しかけてみる。
彼は生きていた頃、彼は私のよい聞き手だった。
泣いていたら涙をぬぐうように顔中をなめてくれた。
毎日、私の帰りを、おおはしゃぎして、歓迎してくれた。
中学、高校生の頃、家に帰りたくない時、歩き続けたい時、ずっと散歩につきあってくれた。
大ゲンカして、噛み付かれた傷は、今も右腕に残っている。
もちろん、その出来事も傷も含めて、私は彼を愛している。
大晦日の帰省。仏壇の掃除、買い物、母と歌を口ずさみながらの紅白視聴、
新年の挨拶を終え、夜には八幡に戻る。私の帰省は、とてもQuick。
それは、自分が一人で暮らす家がすばらしく居心地がよいから。
そして、日常を愛しているから。
特別なハレの日は、多分、子どもの頃から、少し苦手なのだと思う。
できるだけ、日常に戻りたい。
自分が自分らしくいられる場所は、自分で選ぶ。自分で整える。
一番自分らしくいられ、一番いいパフォーマンスが生み出せる場所。
家に帰ったら、自分の家と部屋に話かける。
大好きだよ、去年はありがとう。今年もよろしくって。
きっと、この家も、私のことが大好きだと思う。
私は、色んな物に、人に、世界に、大切にされている。
本当に恵まれている。
そのことに感謝をしながら眠りについて、世界に愛を届けられる人になりたい。
誰かのために、働きたい。