悲劇と喜劇


15、16の頃、チャップリンの映画をいくつか見た。
中でも『街の灯』が好きだった。
言葉の響きも、描かれる世界も。
初めてつくったメールアドレスを、city-lightsとするほど。
高校時代は、チャップリン・ジャンプを友達としょっちゅうしていた。
チャップリンが好きだった。
単純に、美しいと思っていた。
愛とやさしさとユーモアと想像力・・・人生には必要なんだよって、教えてくれた人。




今思い返せば、15歳からの数年間、私のテーマは、「見えるものと、見えないもの」ということだったんだと思う。




星の王子さま』の「大切なものは目に見えない」という言葉の意味を考え続けた。
わたしには、見えていないものがあまりにも多かったし、人並みに感じれない感情も多かった。
欠落した部分と、過剰に感じ入る部分と。
大切なものが見える人になりたい、と思った。
本質的なものを感じられる人に。
それは、自分が、そうできない、ということを知っていたから。
じゃあ、どうすればいいだろう。
そのためには、映画を見ないといけない気がした。
芸術に触れないといけない気がした。
だから、映画を観続けた。
「感じるこころを手にいれる」ための、自分で自分に課したレッスンのひとつだった。
そして、失恋や挫折といった経験によって、「感じるこころ」を新たに手に入れられたかを確かめるためのレッスンでもあった。



「見えるものと、見えないもの」ということで言うと、「街の灯」と物語の構成がよく似たものに、
野島伸司世紀末の詩』の第2話「パンドラの箱」で描かれた盲目の女性とピエロの物語がある。

けれども、「街の灯」とは違ってこちらは、最後は悲劇的。

「人間はとても眩しい瞬間に、とても大事なものを見失う。」というドラマの中の台詞は、15歳の私の心に深く残った。


第2話の中の台詞には、こんなのものあった。
「先生、人間はなぜまばたきするか、知ってますか?時には人の過ちに、目をつぶってやるためです。」
これは、教師になる前も、なった後も、ひそかに胸にとめている言葉。



この「世紀末の詩」から、はかりしれない影響を受けているわたし。
ドラマのサントラも買って、ずっと聴いていた。
千住真理子さんが奏でるヴァイオリンの悲劇的な旋律に心酔。
17の時、母に送ってもらって、一人で舞鶴でのコンサートに行った。
この人、この音、この曲、と思ったら、ずっと聴き続けてしまうところは、ずっと変わらない。





話は戻って、チャップリン
この数週間、1年、あるいは数年のスパンで自分の人生を振り返って、意味付けていくような時間が流れている。
この時はAと感じていたけれど、結果的には、Bだったということがたくさんあり、
本当におもしろいな、と思う。
こんなことは、これまでもたくさんあったのだろうけど。



そして、頭の中に、ぐるぐると浮かんでくるのが、チャップリンのこの言葉なのです。


"Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot."

人生は近くで見ると悲劇だが、遠くで見れば喜劇である。チャールズ・チャップリン



本当に、そうだね。
昨日、今日の授業づくりネットワーク理事会合宿でも、いろんな話を聞きながら、瞬間で切り取ると悲劇であったり、めちゃくちゃだったり、絶望的であったりするんだけど、振り返ってみると、すべて喜劇になってしまうんだな、と思えてしまう不思議。



だから、生き続けるべきだ、というか。






もうひとつ、私が好きな言葉。



Life is what happens to you while you are making other plans. ―Celia Hunter
(人生とは、何かを計画している時に起きてしまう別の出来事のこと。) 




今、自分の見ている、過ごしている、すべてだと思っている世界がすべてではないということ。
そのことの不幸と幸福と。
そして、それでも、今、現在手のひらにある実感が、今日をつくり、明日をつくり、関係をつくり、社会をつくり、わたしをつくり・・・結果的に、驚くような未来とつながりうること。