今日は昨日の続きなのに、
特別でないといけないような晴れの日が、
子どもの頃から、半分好きで、半分苦手だった。
「すべての歴史は現代史である。」ベネデット・クローチェ(イタリアの歴史家)
この言葉の存在感はとてつもないけれど、
カテイカンキョウという歴史も、常に現代史だと思うここ数年。
それにしても、文化ってすごい力を持っている。
こんなにリフレクションと決意表明をせまられる機会はない。
身体に埋め込まれたリフレクションしなきゃスイッチに、そわそわ、ドキドキしながら、
いつも通りに日記を書こうと思う。
やってきた新年に対して、平静を装って。
君のために、振り返ったり気持ちを新たにしたりなんかしないよって、顔して。
魂を宿さない言葉は、口にしないというふりをして。
静けさの中で過ごす。
横たわる、反骨精神が、奇妙な所で顔を出す。
ああ、これが私の歴史、現代史だ。
静けさ。
揺れる灯。
アートワークで6月に描いた一枚を、2016年の大人向けの年賀状にする。
自分の人生の青写真のイメージを描いたのだった。
この時語ったことと、今、この絵を見て語ることは、また違うだろう。
それが、月日が流れるということだと思う。
しみじみ感じながら、静かな音楽を聴く。
いつものように。
今年は、諸事情で出せていない学級通信。
タイトルは、「ともしび」とだけ、決めてある。
小さなともしびを囲んで、
小さな詩を読み、
小さな願いごとをする。
それが、私たちの文化であるから。