遠回りと再会

金木犀の香りがたちこめて気分がいいので、少し遠回りしてみたくなる。
鼻唄は、「ひこうき雲」で。

ひこうき雲」は、小学生の頃、母親の車のカーステレオで流れていた。
「卒業写真」も、「雨の街を」も、そこで聴いた曲たち。
今は、私の車の中で流れている。

こんなに悲しい曲があっていいのだろうか、と、思った。
子どもながらに、死を歌っていることはわかったから。
「儚い」という言葉の意味は、この曲で、なんとなく知ったように思う。

こういう世界もあるということを知りたいけど、知りたくない・・・。
受け入れがたさと、受け入れないと前に進めないような気持ちが入り交じっていたあの頃。
いえ、あの頃、と言わず、今でも、そう。
年代によって、受け入れがたいものは違えど、存在するし、常にその葛藤を脇に抱えて生きていくしかないのかな、と思う。

学習発表会の歌の候補を、色々考えている間に、私をかたどる色々な歌たちにぶつかる。

20歳で初めて飛行機に乗って訪れた沖縄。
そのゲストハウスの屋上で、スコールを浴びながら泡盛を飲んで、生まれて初めて酔っぱらった。
ゲストハウスのおっちゃんと、互いのカミングアウトをしながら語り、ステレオから聴こえる音楽で、初めてかつての同級生の前で踊った。「解放」という言葉の似合う夜だった。
深夜、ふと起きると、屋上に置いてあったステレオから、ふっとある歌が流れてきた。
それは、同じゲストハウスに滞在していた人のPCから流されていたもの。
その時は、何の歌かわからなかったけれど、その日の、その時の私は、その歌の雰囲気や感触と解け合うような感じがしたことを覚えている。これまでにない、満たされた感覚。何かを手に入れないといけない、という思いに、応えてくれるような、旅の、忘れられない夜。屋上から見た星空が、まだ記憶に残っている。

後になって、その曲は、swing out sisterのNow you're not hereだと知った。
アルバムを借りてきて、何度も聴いた。
あの時の感覚を、忘れたくなかったから。取り戻したかったから。

音楽は、複雑な気持ちや出来事を、複雑なままに真空パックしてしまう。
よみがえると、どうしようもない気持ちなってしまうことなんか知らずに、
いきなり目の前に、開けたりする。
過去につめこんだ記憶が、どの歌とどのタイミングで未来の私に届けられ、その未来の私をどのようにかき乱すのか。

歌を歌う人たちは、音を流す人たちは、
ほんの少し、しかし、はっきりと、
誰かの未来の演出に参加している。

『音楽を聴くために必要な人生』
http://d.hatena.ne.jp/Yuka-QP/20090207

『淋しい雲、でもいい』
http://d.hatena.ne.jp/Yuka-QP/20090808

『2006年の雨の街』
http://d.hatena.ne.jp/Yuka-QP/20110528

ああ、今年は、過去との「再会」の話ばかりブログに書いている気がする。
どうしてだろう。