楽しいって英語で何ていうの?

朝。
1時間目〜4時間目は5年生の国語。
「林間新聞をつくろう」。
前回のエピソードの書き出し「取材」が終わり、
今日は「構成」。
モデルとして、5年の二人の男性教諭に書いてもらった新聞記事を提示。
2種類あるということ、複数の例があるということが大事だと最近思う。
オリザさんも、こどもたちが何かもめていたら、いろんな例を提示することが大事だとおっしゃっていた。すると、混乱して、なんでもいいか、という感じになると。笑
とにかく、例をたくさん示すことで、こどもたちの中にフレームができていく。
フレームができると、自ずとコンテンツが浮かび上がっていく。
そういう思考も確かにあると思う。
偶然だけれど、二人の先生がつくってくれた新聞記事が異なる特徴を持っていたので、それを生かしていく。
新聞記事の文体にどこまでこだわり、どこまでエッセイっぽくするか。
5年生に、どんなことを求め、どんな部分はまかせ、遊んで、楽しんでいくか。
探りながら、やってみながら、調整する。
初めての試みで、ゴール地点は一緒に探していくしかない。
私に専門性も経験もないため、手探り。
こどもに教えてもらうしかない。

「先生、楽しいって英語で何ていうの?」
早速新聞名を考えているらしい子から尋ねられる。
It's fun!





去年から提案して、教材モデル(単元の最終ゴールとなる成果物・言語活動材料)を、学年の先生たちに相談して手作りしてもらっている。
これをするのとしないのとでは、学習の楽しみ方、理解の仕方が全然違ってくると、自分自身で実感しつつ。まずは、自分がやってみる。楽しむ。
そこで、指導のポイントも、単元構想も見えてくる。素材研究・教材研究・指導法研究すべて含まれる。

4時間目は、再来週全校の研究授業をしてくださる先生の第2時の授業をちらりとのぞきに。カメラを持って、先生のすてきな表情、こどもの姿、板書、教材を映しにいく。事後研では、スライドショーで、学年の先生たちのチームワークや素敵な姿を流したいと思う。私の仕事は、先生たちの素敵な姿を、カメラにおさめ、言語化したり共有したりすること。研究授業は大変だけど、楽しみたい。こどもも教師も楽しく学ぶ、ということが今年のうちの学校のテーマなのだ。ああ、今日の検討会の様子も写真とっとけばよかった・・・。


昼休みは、算数加配の先生と一緒に教材庫をがさごそと。
色々お宝は眠っていて、
それをどんなふうにいかしていくか。
理振で購入された真新しい実物投影機が複数台ある。
実物投影機は、このところ多用している。
先生たちにも使ってもらえるといい。

午後から2時間は、6年生。
10分程度の短い星野道夫さんのヒストリーを観る。
ザトウクジラや氷河の映像に星野さんの言葉が加わる。
み終わった後、静けさが漂う。
こころの中に。クラスの中に。
こういう感じを共有するのは、好き。
何かを一緒に観るということ。
後半は漢字。
思いつきで、トリオでワーク。
提示した漢字を見る人と見ない人に分かれ、見た人が見ていない人に、言葉だけで説明して、正しい漢字を書く、という活動。
「にくづき」の既習漢字でない漢字を使って。
もともとは、糸井先生がアーティストに教えてもらった、写し絵のワークからヒントを得たもの。このアクティビティは、素晴らしく強度のある構造を持っている。



放課後は来週の週予定の調整。
毎週金曜日のNIEタイムの記事の準備、印刷、スキャン。
6年生(200字意見文)はオバマ大統領の演説についてのトップ記事(朝日小学生新聞)を選ぶ。
3・4年の先生とブロック研(研究授業のための指導案検討会)。
レポートを仕上げようと思ったけれど、大切な資料がどこにいったかわからず、探せど探せど見つからず、絶望的・・・シュレッダーしてたらどうしよう。涙。



夜遅めの時間から後輩の同僚と初めて二人でご飯にいく。
「〜しなきゃ」と思っていたけれど、その呪縛から最近解かれてきて、楽しくなってきたという話。
色々、本音の話をたくさんする。
私もそういう立場になったと感じるし、
そういう立場になったほうが、私は人と関わりやすい人間なのだ、と実感する。
ポジションって、大事だ。
人から与えられるポジションも、自分で見つけるポジションも。



そう、私は、自分の役目を常に探している。
自分のやりたいことと役目がぴたりと一致した時、
もっともいいパフォーマンスが発揮できる。
ただ、やりたいことだけをやるのも苦痛だし、
役目だけがあるのも苦痛だ。
学級のこどもも、そういう感じなんだろうと思う。
だから、いろんなポジションがあればいい。



そして今日もいろんなところからメールが入る。
ううん、そういう年なんだなぁ。
すべての依頼にyes,andできるような力量がほしい。
もっと、もっと、もっと、学んで力をつけたいと思う。
そのための気力を、与えてほしい。
人任せ、神まかせ。




夜はずっとシェエラザード
高校生の頃、音楽室の吹奏楽部員用の棚にいろんなクラシックのCDが置いてあって、そこで見つけた。ロシアの作曲家の色彩豊かな曲が好きで、
よく聴いていた。
今年のお正月も、シェエラザードから始まった。
聴きながら、高校時代を思い出す。
夏の暑い日、畳の上に寝っ転がって、ずーっと音楽を聴いていた。
映画音楽、家にあるレコード、友達から借りたMD、テープ、ラジオ、
とにかく何でも。
あんな田舎の町で、インターネットもお金もない高校生の私がどうやって新しい音楽と出会っていたのか。
それでも今よりずっとたくさん曲を聴いていた気がする。
不思議。
今よりきっと人との出会いが多かったのね。