単純

人印刷室で印刷をしていると、先に帰る同僚が部屋の前を通り過ぎ、戻ってきて「おつかれさまです」と声をかけてくれる。
そんな、たった一言が、今日を明日に連れていく。
人の心を動かすのは、本当に、単純な出来事だと思う。



5年生の「新聞を読もう」という単元。
同じ内容の違う新聞社の記事を比較し、受ける印象と書き手の意図を考える、というもの。
悩んで、五輪のエンブレム決定の記事を、朝日、毎日、読売、京都の四紙から持ってくる。
ひとつひとつの授業をつくるのに、とても時間がかかる。
私に教材分析力や国語に関する知識が圧倒的に足りないし、メディア・リテラシーやNIEも見様見真似で、、、勉強するしかない。
それでも授業準備は楽しく、今日は4年生、明日は5年生というように、毎日重点的に準備をする。
3学年教えていると、系統も見えてきておもしろい。
職場の同僚が働きやすいように、教えること・学ぶことが楽しめるように、考え、動くことも楽しい。
本当に幸せなポジションだと思う。
私の授業の仕方や授業の構成の仕方が、多かれ少なかれ、学校全体の指導のあり方に影響を与えていくだろうし、
日々、丁寧に、丁寧に過ごしたいと思う。



6年生の説明文は、「探偵」になったつもりで、説明文の構成・筆者の主張を見破ろう、というコンセプトで。
図解を取り入れながら。
説明文の授業をすると、論文を書いた経験がとても生きると思う。


4年生は話し合い。学級会を開く。
どんなことを話し合いたい?と尋ねると、色々話題が出てきておもしろい。
単元の導入などの授業でしか4年生には入らないけど、
こういう入り方もおもしろい、と思う。


自分の仕事を、自分でつくっていく感じ。
先代の国語加配の先生方の素晴らしい蓄積を受け継ぎながら、
私も、その方たちのように実践・学校文化を創造していきたいと思う。


自分自身にどんな演出をほどこそうか、と、考える。
国語ルームにも、単元にも。


どんな物語を、どんな演出を、どんな役を、ほどこそうかと。



ずっと前に、愛読していた学校図書館司書の方のブログがあった。
その方は、自分のことを魔女にたとえていた。
そういう、何が物語めいた演出。
言葉を学ぶということが象徴する、何かを使って。