だいじょうぶ

初任者だった年の4月、5月、6月は、本当に学校に行くのが苦痛だった。
学校に到着するまでの最後の交差点を曲がりたくなくて、何度、右折せず、このまま真っ直ぐ突っ切っていきたいと思ったかわからない。
4月の土曜日にジョゼ虎を見た時も、映画に感動しつつも、頭の隅にある月曜日が気持ちを暗くさせた。
5月の連休最終日にダンスの公演があり、へろへろになって、授業の準備もできず、連休明けは本当に最低だった。
6月。ようやくできた職員室の友人と、雨の中、ご飯を食べに行った。荒井由実の「雨の街を」を聴きながら。


今でも、あの頃聴いていた曲や、あの頃観た映画を思い出すと、喉をふさがれるような気持ちがする。
私は、声帯を痛めやすいからだろうか。
ストレスを喉で感じるらしい。
言葉も出てこなくなるし、しゃべれなくなる。
ウィークポイントだ。


それから10年経った今の私は、
朝、学校に行くと、少しほっとする。
休日に学校に行くと、少しほっとする。
私は、学校という場所がなければ、人と関わることも、働くことも、家から出ることもないんじゃないだろうか、という気持ちになる。
家に引きこもって、昼夜逆転の生活になり、出かける気力もなく、じっとしているだろう。
休みには、簡単にそうなってしまう。
あんなに行くことが苦痛だった場所が、
こうして自分と社会をつなぎとめてくれる場所になりうる日が来るのだと。




毎朝、数秒間、そのことに感謝する。


今日も、私は人としゃべっている。
私が存在する場所がある。



ちゃんと、私は生活できている。



時々、そのことが信じられないくらいすごいことに思えてくる。



大丈夫。
だいじょうぶ。