きめる

最後の合図は、たいていこどもが出す。
キューというか、ゴーサインいうか、
わたしは、大抵の場合、いつも迷っている。
選択肢がたくさんあり、
どれが最善か、決められずにいる。
そのせいで即興的にならざるを得ない。



林間新聞をつくる。
おかえり、というと、ただいま、という。彼らは。
思い出を振り返る時間。
ペアでのインタビュー形式にした。
ペアの決め方や、流れも、その場、その場での決定で。
とても楽しそうに笑いながら話す人たちを見て、
見たことないものを見たような感激があった。
一人で振り返ったならば、
笑い声は聞こえないね。
ディテールはそんなに語られないだろうし、
書くのが苦手な子は止まっちゃったかもしれないし、
掘り下げられなかったかもしれない。
聞いてもらえるって、書いてもらえるって、
関心を持ってもらえるって、うれしいね。
語らう様子を見ながら、
今まで読んだ本とか、この実践のベースにあるものを
思い出す。
あの人、あのワークショップ、あの活動・・・
いくつものエッセンスや人との出会いが、
そこには編み込まれている。
そして、最後に編み上げるのは、
目の前の人たちだ。
見たことのない模様を見せてくれる。
いつも、わたしに。



この1週間、あちこちから依頼やら出張やら相談やらお誘いやら、とにかく、たくさんの声が届く。
そういう時期なんだろうな。
色々かぶっちゃって、ごめんなさいもあるんだけど、
できるだけ、yesって言いたい。
今年は、そういう気分。
来週は筑波の研究会に行くことになった。
今、最も行きたい場所に行かせてもらえることに感謝。
テーマは、「きめる」学び。
ああ、今のわたしにぴったりかも。笑
決められない、決められない。
毎日、悩みすぎ。


長い五月が終わった。
いよいよ、大好きな月が始まる。
2年前の水無月は相当に落ちこんでいて、
ファンタジーの研究授業を前に、
本当に憂鬱で先の見えない日々を過ごしていた。
シュタイナー教育に惹かれたのもちょうどその頃で、
今思えば、あのファンタジーの授業やシュタイナー教育との出会いが、
わたしの人生の色調を淡いパステルカラーに変えていった時期だ。
一番暗い時期に出会う美しい景色、その光の差し込み方は優しく、
それは不思議と、わたしを内から照らす光になった。



今年も京田辺シタイナーの公開講座に行く。
3年目のこの夏、見える景色は、どんなだろう。