こぼれおちる

今日も4年生国語。
こどもたちが選んだ本のしょうかい文を書く場面に立ち会いながら、
あらすじを一緒に確認して涙ぐみ、
彼らのかいた問いかけや文章を読んで涙ぐみ、
彼らの選んだ本を読んで、しくしくと泣く。
こんな調子なのだな、と思う。
わたしが国語を教えるということは。


わたしは、こどもが書く文章が好きで、
読み、書いている姿がまた好きだ。


いつだったか、信頼している先生が、「こどもの書いた文章は信じない。文章でなら、なんとでもかけるから。ぼくが信じているのは行動だ。」と、私に話した。
わたしは、なるほど、と思いつつ、それでも、わたしはこどもが書いたものを愛している、と思った。




国語ルームで、教材研究をしながら絵本を数冊読み、ひとしきり泣く。
午後からは、土曜参観の振替でお休み。
雨の高速道路を走り、大学に行く。
途中、局地的豪雨かと思うほどの雨量にひるみつつ、
高速道路はいろんなことを思い出させるので、またしくしく泣いて、
涙をふきつつ大学に行くと、雨は上がっていた。



小学校4年生の冬。
『まほうつかいアッチー』という物語を母のすすめで読んだ。
少女と妖精の感情のもつれゆえのすれ違い、それをきっかけとした別れの話は、
悲しくて、悔しくて、
読みながら激しく泣いた。
部屋で本を読み終えた私は階下に降り、
居間のこたつに寝転がりながら、やり場のない感情を天井を見ながら反芻していた。
涙を流しながら天井を見る私を見て、帰って来た母は「どうしたの?」と尋ね、
私は物語を読んで泣いていることを話した。



それからしばらくして、母はその時の私のことを、PTAのアンケートか何かに書いたらしい。
それが校長の目にとまり、ある日、全校が集まって給食を食べるランチルームで、校長先生がその母の文章を読み上げた。
本を読んで涙を流す娘の姿にうれしくなった、というような内容だったと思うのだけれど、
校長先生が、本を読んで泣いていた、という言葉を読んだ時、ランチルームは大爆笑に包まれた。
「えー、おかしい。本を読んで泣くなんて。」「だれ、そいつ。」「へんなのー」
そういう笑いだった。
私は、その反応に体が硬直し、自分だと気づかれないように、笑うふりをした。
誰も、誰も、私のことだとは気づかないように。
それから、もう、本を読んで泣いたなんてことは、言わないでおこうと思った。


他にも、こういう悲しい体験が小学校の時にたくさんあった。
読んだ本の感動を分かち合える場所や関係はなかった。
そういうことが、ぽつり、ぽつりと思い出される。
そうして、思い出すこと、ここに書き記すことで、
もう、この記憶は、わたしから離れるだろう。
目の前のこどもたちと本を通した関わりをつくっていく時、
こうした記憶が何になるか、わからない。
ただ、今日の涙と雨が思い出させた記憶を記しておこうと思う。




大学では、信頼し、尊敬している先生たちを駆け足で尋ねる。
ある先生とは、話しながら涙ぐみ、ああ、わたし、こんなにこの先生に話したいことがあるんだ、と思った。
話したいことなど、どこにも湧いてこないような気分のことさえあるのに、わたしは、この先生には話したいことが、あるんだ、ああ、こんなことを考えているんだ、ということがはっきりとわかり、その状況にまた泣きそうになる。



学生時代のゼミの先生は、あいかわらずのユーモアで迎えてくださりほっとする。
この人の前では、わたしはこどもに戻る気持ちになる。
「先生、わたし、国語の先生してるんですよ」というと、「国語教えられるの?」と笑われる。




院生時代のゼミの先生とは、この夏の10年目研修のインプロワークショップの打ち合わせ。
今年で3回目のコラボ企画。
わーーーーっと、色々話して、おおよそのワークショップの流れが見えてくる。




わたしの修士論文をずっと読んでくださり、連絡をくださった方とも会い、修論の冊子を渡す。
ブログを読んでくださっていて、感想を丁寧にお話ししてくださり、とても勇気付けられる。
こんなふうに、知らないところで、読んでくださっている方がいるなんて、ほんとうにうれしい。




わたし自身、インプロについては、修論でひとつの区切りがついている。
十代から、二十代にかけてのわたしの中の大きなテーマが、インプロと研究によって、終結した感があった。


そして、三十代になってからは、また、異なる、大きく、重いテーマに直面することになる。
今はまだそのテーマの全容が見えず、苦しみ、試行錯誤している段階。
自分の中にある矛盾や過去と徹底的に向き合うことが、これから数年のテーマになるんだろうと思う。
その向き合う時の補助線に、ドラマやシュタイナー教育がなり得るのだろう、というのが、今の時点でのわたしの予感。
この苦しみの時期を、今は、引き受けないといけないということはわかっている。
二十代のわたしにも、そういう時期があり、その時期を経ての修論、それに纏わる出会いがあった。


メタファー。
きっと、私の人生の中心テーマ。
22の私の卒業論文も、
29の私の修士論文も、言語学、教育学のフィールドは違えど、テーマは、「メタファー」だった。
そして、今、自分自身の中にクリアにあるテーマも、生きていくための「比喩」だ。
そういうことを、一人の先生に話してみて、やっと気づく。


誰かに後押ししてほしいのだ。
いつだって。
論文を書く時、ずっとそうだった。
背中を押してほしい。
言葉にならない言葉を聞いて、
そっと、うなづいてもらえることで、
わたしは、文章をかきつないでこれた。



ああ、そうだった。


ざっと、いろんな記憶がからだをかけめぐる。



言語棟の明かりをみながら。
書くことは孤独だが、
わたしは一人ではなかった。



書くことで、色んな人とつながっていける。


その喜び。



こどもたちも、そんな喜びを味わっているだろうか。



水無月が終わる。


長く、重く、雨ばかりの。






今年はクチナシの香りを一度もかがなかった。