最初と最後

大学院から戻る時は、担任に戻っても研究を続けたいと思っていたが、それは様々な理由で、私には難しいとあきらめた。
データをとる意欲が湧かなかったり、忙しかったり、自分自身の教師としての自分の振る舞いや授業が嫌で映像記録になんか絶対残したくない、と思ったり。残しても見返したくなかったり。とにかく、考えると喉が詰まりそうな感じがするくらい難しく感じた。今年は、そこにチャレンジできるだろうか。


今は担任がなく、1日フルに高学年の教室で授業をする。
先生たちと相談しながらT1で入ることもあれば、「書く」授業では少人数に分割し、「サポートしてほしい」「国語ルームの環境で書きたい」という子たちと過ごすことも。流動的な授業形態をとる。単元最初のオリエンテーション授業や終末の作品交流では2クラス合同で授業をしたり、4年生には、導入や展開のポイントとなる授業のみ、入ったり。試行錯誤中。


今日、6年生「つないで、つないで、ひとつのお話」という言葉の準備運動の授業に入る。
4クラスで授業をすると、さすがに4クラス目には、少しずつ修正を加えてある程度整理されてくる。

今日は、最終のクラスで、一番いい感じ。

想像と創造のお話、Yes,andでお話をつくるよ、というマインドの話をさらっとする。

最初はインプロゲーム「インスタント・ストーリーの素」を使った活動。

「昔々あるところに・・・」
「毎日毎日・・・」
「ところがある日・・・」
「そのせいで・・・」
「そのために・・・」
「そしてついに・・・」
「教訓・・・」

最初の言葉だけが決められ、ペアでお話を紡いでゆく。
最初の2クラスは、教師とこどもでデモンストレーションをしたが、
やりたい子がたくさんいたので、こども同士にやってもらうと、とってもいい感じ。
私が最初にモデルを見せなくても、このフォーマットならいけるんだな、と思う。


教訓っていうのは、ということでイソップ童話の話を少し。
ペアでじゃんけんして、勝った方からお話スタート。
教訓まで話したら、二人で笑って、今度は負けた方からお話スタート。


どのペアも、楽しそうに取り組む。
素晴らしいフォーマット。
「先生、班でやってもいい?」というこどもからのオファーも出る。
どうぞ、どうぞ。


時間を区切った後、「おもしろい教訓は生まれた?」と尋ね、数ペアに尋ね、笑う。


2つ目のインプロゲーム「最初と最後」。これは、一文ずつ語り、話をつないでいくシェアードストーリーの中でも、初めの一文と最後の一文を決めて、その中を創作していくもの。最初と最後は、お客さんに書いてもらい、くじで引いてきめることが多く、全然つながらない二つの文を即興の物語で展開していくことになる。


こどもには、ピンクとブルーの2枚の短冊を配る。
「ピンクには、物語のはじまりっぽい一文を書いてね」「ブルーには、終わりっぽい一文を書いてね」という。
「今、重松清の「カレーライス」の学習してるよね。この作品の最初の一文は?最後は?」と、尋ね、印象的な書き出しや物語が始まりそうな文について、思いをめぐらす。最後も。もちろん、お笑いのネタやアニメの名台詞を仕込む子もいるわけで、書く段階からかなり盛り上がる。それを折って、班ごとに封筒に入れる。

クラス全体の前で、「例えば・・・」ということで私がくじを引き、最初と最後の一文を引く。
こどもたちは、「えー!!」「どうやってつなげるの〜?」と、笑いながら言う。

「じゃんけんで勝った人が封筒からくじを引いて、みんなで確認します。」
「最初の一文は班全員で読んで、その後、時計回りに2周つなげてね。そして、最後の一文をみんなで読んで。」


わいわいと、でも、悩む姿もありながら、話が紡がれていく。
次の子が言うのをじっと注視したり、話を聞いていない子にそれまでの流れを説明したり、
笑ったり、見守ったり。
話を協同でつむぐ場所に流れる空気感と距離感は、とてもいい。


最後、振り返りを書く時に、
「先生、前でやってみたい」という声が上がる。やりたい人?と尋ねると、十数人が手を上げて、最後にひとつのお話。
ラクルが起きて、素晴らしかった。
どうなるか展開の読めない話を見守る時の前のめり感や、パスをつないでいく感じもおもしろい。勘違いから、ストーリーがちぐはぐになるのもありだし、最後「オチ」を期待する関西のこどもらしい感じもいい。


感想を読んで、ちょっとびっくりする。「言葉ってすごい」と書いている子が数人いて、ああ、そうなんだって思う。
以下、数人の感想。


・2枚のカードを引いて最初はこれが結びつくのかなと思ったけどやってみると成功した。言葉ってすごいと思った。(カードは、「私は、どこかの国の女王様。」「うほ〜」だったらしい)

・成功のポイント。次の人のことは考えなくてよい気がする。

・はじめと終わりが変でも、中をしっかりしたらだいたい話は合うことが分かった。

・接続語を使うとうまいことできるということがわかった。笑い死にしそうだった。

・このゲームの成功ポイントは考えてみんなで話すということがわかった。みんなでこのゲームをやってより一層仲良くなったと思った。

・言葉をつなげるということはすごく大事だと思う。言葉をつなげてすごいおもしろい物語ができた時には、言葉にはいろんな力があるということがわかった。

・予想もしないことがでてきて面白かった。接続語や想像力が必要。




この即興劇が教える人生の暗喩。
それは、辻褄を合わせるということかもしれない。
二つの無関係のことがら、あるいは対立することがらの間を、どうとりもって辻褄を合わせていくか。
それぞれが微妙な調整をしたり、全くそこに寄与しない発言をしたり、でも、そうかと思えばその発言が鍵になったり。
トリックスター


あるいはそれは、接続詞が助けになるということかもしれない。
接続詞は、生きる力になる。
私たちの人生には、「ところが」が用意されているし、「しばらくすると」があって、「しかしながら」もあれば、「それでも」もある。その接続詞を唱え、その接続詞を唱えたからこそつなげられる未来を描く。
私は「それでも」という接続詞を愛しているし、何が起きても、「それでも」を唱えようとしている。



ああ、久々に、長い日記を書いた。
これは、日記じゃない。
フィールドノーツ。
ふう。