着想シネマ〜髪の毛との戦い


私は、生まれつきくせ毛です。私の人生は、くせ毛との戦いの歴史でもあります。

保育所のときは、まだ、戦っていませんでした。

よく、「あんた、頭が小鳥の巣みたいになってるで」

と、言われていたような記憶が残っていますが、あんまり気にしていませんでした。今思い返せば、ネストな私も、なかなか味があっていいです。(昔から、寝ぐせ頭を見るのが好き。とくに子ども。)

小学生になって、自分のことを外から見て、すごく意識しだすようになりました。

1年生のとき、登校班の6年の班長のことが、すごく好きで、毎朝、会うのにどきどき。

でも、あるとき、髪の毛を切りにいって、母の注文で、すごく変な髪形になって、その日は、納戸にバリケードを張って、明日は、学校には絶対行かない!と抵抗しました。班長さんに、その変な私を見られるのが、激しく嫌でした。次の日の朝までふくれていて、でも、新しい服を着ていくことになってので、しぶしぶいきました。

登校班の集合場所で、お姉さん達の、「ゆかりちゃん、かみきったん〜」という声が、かなしく響きました。

それまでは、結構かわいがられていたのに、髪切って、かわいくなくなったから、もうかわいがられないな、と自分で思いました。

班長さんへの恋も、自分で自分にがっかりしていたので、終わってしまいました。

2年生の頃、また髪の毛が伸びてきました。肩につくくらいありました。そして、毛先がくるんとカールしていました。私は、くるんとカールして、上を向いた毛を眺め、今度は、この毛は、天に向かってのびていくのだ…どうしよう…と不安になっていました。髪の毛は、毛先から伸びると信じていたのです。

3年生の頃、素晴らしい道具に出会いました。「ヘアバンド」です。その当時、ちょっと流行っていたのでしょう。

ヘアバンドは、画期的でした。私の、どうしようもない前髪を、きちんとまとめあげ、固定してくれるのですから。前髪の存在に相当苦労していた私は、毎日、毎日ヘアバンドをして、学校に行きました。おでこには、結構自信がありました。また、きっちりまとめあげたヘアバンドのしたから、前髪をひとつまみだすと、かわいいと信じていて、いつも、仕上げにチラリと、髪の毛をたらしていました。(今思えば、かなり変!笑)

でも、時々恐ろしいことがおきました。

学校で、やんちゃな男の子が、私をからかって、ヘアバンドをとりあげたのです。

当時、私は好きな子がいました。その男の子に、ヘアバンドをおろした顔を見られるのは、相当な恐怖でした。絶対に嫌われる。こんな不細工な顔は見せられない!

ヘアバンドがないので、両手で、前髪をおさえて、やんちゃな男の子をおいかけました。

その子は、りゅうまくんという名前で、めっちゃ野生的で、のはらうたに出てくる「かまきりりゅうじ」みたいだと、思い込んでいました。

昆虫が大好きな子だったのですが、よりによって、私のヘアバンドを虫網の中に入れて、高く掲げ、私を、翻弄しました。決して泣かない私でしたが、半泣きでした。

それでも、毎日ヘアバンド。紺色に茶色。デニムに黒。カチューシャも含めて、色々していました。

5年生の後半から、ピン止めの存在にもひかれるようになり、徐々に、前髪を下ろす自分にも、自信がついてきました。

しかし、ずっと、ずっと、大人になったら、ストレートパーマをかける!と心に決めていました。サラサラまっすぐの髪の毛の子がうらやましくて、うらやましくて。

自分の顔や体に対するコンプレックスが多かったので、毎日鏡を見ながら、どうしたら、もっと自分に自信が持てるか、考え続けていた少女時代でした。

中学時代になっても、髪の毛との戦いは続きます。

雨の日は悲惨でした。髪の毛がうねる、うねる。

中学は自転車通学で、ヘルメット着用でした。

みんなは、ヘルメットはダサいということで、かぶるのを嫌っていましたが、私にとっては、密かな髪の毛と戦うためのツールでした。

というのも、みんなは、ヘルメットをかぶると、セットした髪型がぺちゃんこになるのを嫌がっていたのですが、私の場合は逆。

毎日、髪が、爆発したり、うねったり、相当処理に手を焼いていたのですが、ヘルメットを、登校時間の10分間かぶることにより、学校に着くころには、若干髪の毛の具合がおさまっていたのです。

ほんま、ヘルメットさまさまでした。

そして、毎日、寝る前には、欠かさず、ぴんどめで、前髪をびしっととめてねます。

すると、次の日には、前髪だけは、なんとかまっすぐに保たてれている。
朝一番、鏡を見て、今日の髪の状態をチェックし、一喜一憂。髪型がイマイチな日は、学校に行くのも憂鬱になったものです。

でも、中学2年の秋に、画期的な出会いが訪れます。

ベリーショートへの挑戦です。

あるモデルさんの影響で、ばっさりきりました。

すると、あれまあ!

なんとも、自分の顔にしっくりするではありませんか。まさに、私の顔が、求めていた髪形!わずらわしい髪の処理に頭を悩ませる必要もなし。

ショートから、伸ばすときは、何度も髪を切りにいかねばならず、わずらわしいのですが、それ以来、ショートが気に入って、無償に切りたくなって、ばっさりと切ってしまいます。


さてさて・・・

高校生の頃に2度、働き出してから1度、ストレートパーマをあてました。

念願のストレートパーマで、これで、くせ毛の呪縛から解き放たれる!と、興奮したものの、そういうわけでもありませんでした。

高いお金をかけて、縮毛強制というパーマをあててみたものの・・・

なんていうか、ストレートが似合わなかったのです。髪形と、自分がマッチしていない。自分らしくない。

ああ、そういうことか〜と思いました。

ありのままの自分って、きちんとバランスがとれているのですね。

芥川龍之介の『鼻』の主人公と同じです。

自分の鼻にコンプレックスのある主人公。しかし、コンプレックス克服のために、格好のいい鼻にかえると、自分に似合わず、まわりから嘲笑を浴びる。そして、気づきます。持ってうまれたありのままの姿の魅力について・・・

ある部分を整形すると、なんだか、バランスが悪くなり、次はここ、その次はここ、というように、どんどん変えていかなきゃならなくなるって、聞いたことがあります。そうだろうな、と思います。人間の体は、実に、絶妙なバランスでできていますから。

私も、鼻が低いのいやだけど、鼻が低いなりに、この鼻がしっくりくる顔のつくりだと思うのです。多分、これで鼻を高くしたら、すごいバランス悪いだろうな。

コンプレックスがあると、そこを治して、完璧にしたいと思うのは、もちろんなのですが、そうすることで、逆に、今持っている自分にしかない魅力を、失ってしまうのかもしれません。

とにかく、私は、ストレートパーマは似合いませんでした。

ところが!大学生の頃かけちたボンバーパーマという、派手な感じのパーマは、よく似合いました。そして、自分らしさが、より増した感じでした。

くせ毛を、まっすぐにするのではなくて、くせ毛に、さらにパーマをあててしまう。

そういう方法もあったのですね。

さて・・・

ずっと、髪の毛の話ばかりしてきましたが、これは、教育の話とも通じます。

たとえば、自分のウイークポイント・・・私の場合、「体育がとことんできないこと」を、克服するために、運動にめちゃくちゃ励んで、体育を少しでもうまく教えられるようにする・・・そんなストレートパーマ型、縮毛強制型ではなくて、

体育ができないなら、子ども達の力で、体育の学習を深められるような授業を組む・・・または、一緒にやって子どもから教えてもらう…笑 そんな、別の発想で弱点をカバーするという想像的なやり方をしたいと思います。ベリーショート型?くるくるパーマ型?まあ、なんでもよいのですが。


さてさて、8月には坊主にして、リセットされた髪の毛が、今、伸びてきています。久々の、真っ黒の髪の毛。

今は、どんどん伸ばす予定。肩につくくらいまで。髪の毛伸びるの早いので、秋くらいには、長くなってるやろうな。

また、坊主にしたことで、カツラとの出会いもあり、更に選択肢が増えました。

ベリーショート。くるくるパーマ。カツラ。そして、そのままのくせ毛。

どれも、好きで、自分らしいと思っています。

そういう生き方の選択肢が増え、生まれつきのくせ毛の呪縛から、どんどん自由になっていく私の人生。

もちろん、今でも髪の毛との戦は続いていますが、その中で、くせ毛とのうまい付き合い方、自分の発想のもち方を、想像していける気がします。

多少とらわれていたほうがいいのです。多少、コンプレックスがあったほうがいいのです。多少、壁があったほうがいいのです。

そういうものがあることで、人は想像的になれる。

全くの自由を与えられるより、私は、課題や壁が与えられたほうが、クリエイティブになれるから、好きなんだと思います。

また、そういう生き方を好きになったのは、自分自身の体の持つ課題のおかげだと思います。

歩けない、目が見えない、という障害もありますが、そういう困難も障害であれば、程度の差はありますが、私の髪の毛のことも、障害ととらえていいと思っています。「左利き」、「体がかたい」・・・大なり小なり、みんな障害というハードルを抱える体なのです。いわゆる障害を持った人だけが、特別なわけではないと思う。

障害を持っておられる方が、その障害と向き合う中で、それぞれの障害をもった自分ならではの生き方を探り、たくましく生きておられるように・・・ひとつのdifficultyは、クリエイティブになれるきっかけを与えてくれる。

そして思います。

「自由」というのは、与えられるべきものではなく、獲得すべきものではないのか?

不自由であるがゆえに、自由を求めて、色々もがいてきて、自由を獲得しつつある私は、そんなふうに思ってしまいます。

だから、子どもにも、最初から自由をポンと与えるより、課題に向き合って、克服しようと試行錯誤している、その過程をこそ、味わってほしいと思ってしまうのです。

多分、私は自分の子どもがいたら、私の理想に近い教育を実現している学校ではなくて、普通の公立学校に行かせるだろうな、と思います。

その中で、その子が、壁にぶちあたりながらも、その子の感性で、自分らしさを追及していく過程を、見守っていくだろうと思います。

もちろん、その子が、感性を磨き、自分らしさを追及できるような環境を家庭で担うことには、気を配りながら。

最初から、「私服OK」の学校に行くのではなくて、「制服」のある学校に行って、制服でもできるお洒落をいっぱい試す、とか、制服の意義に疑問を持ち、反対運動をする…そんな学校生活を送ってほしいです。


髪の毛と教育は似ている。

私の好きな、「AとBは似ている」のお話でした。

着想シネマ、これにて終了。