愛は許す心

 今日から学校。子どもたちが戻ってきました。

 健やかに目覚める。朝型の暮らし。一日目はいい感じ。自分の生活にゆとりを生むには、やっぱり早起き。がんばろ〜。

 朝、出会ったお母さんに、「先生、やせたね〜」といわれる。うれしくて、「ほんとですか??」と尋ねると、うなずきながら、「うん、やせたね〜おでこ」といわれる。

 ん??おでこがやせた・・・?

 「やけたね〜」の聞き間違いか…そんな笑えるスタート。



 「よう、先生、久しぶり!」と、となりのクラスの子が話しかけてくれる。

 「先生、その髪型、パーマ?それとも、ぐしゃぐしゃ?」

 相変わらず、みなさん、色々言ってくれますが、久しぶりのそういうやりとりが、おもしろすぎ。

 休み時間のドッジビーも、下手すぎて、あきれられて、笑いすぎ。

 学活では、『夏休みバスケット』で盛り上がる。

 フルーツバスケットの夏休みバージョン。

 5回のアウトで、「先生にお姫様だっこをされる」という罰ゲームつきで、スリル満点!?本当に、かわいらしい人たちです。

 なんか、自然体で、あまり構えずにいられることが嬉しい。この感覚を、ずっと続けたい。呼吸していたい。
 

 ☆

 Fちゃんが、朝一番に、私のもとにやってきて、一通の手紙をくれた。

 手紙の裏には、「一人で読んでください」と書いてある。

 職員室で読むと、思いがけない内容と、しおりが入っていた。

 彼女が私にそのしおりをくれた理由が、あまりに心を打ち、ぐわりと揺れる。
 
 7月に、淋しかった彼女と、交わした会話が思い起こされる。

 そして、ああ、あれでよかったのだと。

 正しくなんて、なくていい。

 信じること。許すこと。抱きしめること。嘘も方便ということ。

 そうやって、1+1=2にはならない、やりとりが、花を咲かせるということ。

 「先生、本読むの好きやんな?」

 ああ、だから、私にそう聞いていたのだね。

 
 許されるということが、やっぱり必要なのだと思う。

 自分が罪深いということは、自分が誰よりも知っているのだから、そんなこと、指摘しないでほしい。

 その罪を許されたいという心の声に、気づいてほしい。

 高校2年生の頃、「Amazing Grace」の歌詞に、心打たれたことがあった。

 神によって、罪が許される…キリスト教に興味が湧いたのも、この歌がきっかけだったように思う。

 

 でも、人が人を許せるのなら、それでもいいよね。嘘や罪を、指摘されるより、正しく導かれるより、許されることで、人は、正しい道を選ぶ勇気を持てるのだと思う。信じられたことで、信じられるにたりる人間でありたいと、心から思えるのだから。


 そんなことを、Fちゃんからの手紙を読んで考える。これまで、出会った子どもたちのことを思い浮かべながら考える…。



人間はなぜまばたきするか、知ってますか?
  時には人の過ちに、目をつぶってやるためです。『世紀末の詩』より

 
 この愛鳥週間の絵は、Fちゃんが仕上げた作品。この絵から、驚くほどの愛を、私は感じる。職員室の机の上で、私に勇気をくれる一枚です。