『わらぐつの中の神様』(杉みき子・作)第一時。
感想に、「神様は出てこないのに、神様が出てきたように感じた」という感想がちらほら。
他にも、じんわりと涙が出そうになる感想ばかり。
子どもの「読み」、「受け取り」って、本当にやわらかくて、すてきです。
到底かないっこない。
子どもたちの初発の感想を読んで、考えることが、私にとっては何よりの教材研究になるな、と思う。
そうか・・・
こどもとこの作品と私をつなぐテーマは、「神様」なんだなあ、きっと。
神様は、どこにいるんだろう。
何をもって、私たちは、神様がいるって感じるんだろう。
子どもがいうように、あの作品には、神様の存在を感じる。
会話文に出てくるから、話題に上るから、とかではなくて、
「気配」だ。
それは、夏の夜に、ソファに横たわりながら、
なぜだか、後から後から流れてくる涙をそのままに、じっと天井を眺めている時に、
私のことをどこかからじっと見守っている神様の気配、にも似た。
悲しみに暮れている時に、不意に訪れた出会いの奇跡に感じる神様の気配のような。
そういうものが、この、雪国の物語を包み込んでいる。
1時間目、20分ほどかけて、物語を読み聞かせながら、読んでいる私も、とても幸せな気持ちになる。
そして、子どもたちの姿や感想に、さらに、しみじみと幸せに包まれる、そんな今日という日だった。
夜は、素敵な友人夫婦と再会。
5月は、私自身が気分が落ち込んでいて、人に会う気分ではなく、会えなかった。
今日は、まるで、今日という日に会う予定をしていたかのように会うことができた。
時間が流れるって、そういうこと。
会えて嬉しかった。
この夫婦との縁も、不思議な縁。
縁って、本当に、不思議。
昨夜。満月の夜に、髪の毛を切った。
節目、節目で髪の毛を切るのは、
誰から学んだのでもない、私の長年の習慣。
来週の週予定を立てて、To do の多さと過密なスケジュールに、気持ちが落ち込んでくる。
私は、果たして来週、再来週を乗り切れるんだろうか。
途方もなく、悲しい気持ちになってくる。
論文執筆の時は、論文の神様が、
研究授業の時は、研究授業の神様が、
いつも降りてきてくれた。過去には。
だから、今回も、多分、そういうことになって、結果的にうまくいくのだろうけれど、
今は、不安で泣きそうになる。
この前、アートワークの先生がおっしゃっていた。
「多血質と憂鬱質は、時間差で出てくる。」
私は昼間はわりと、多血質で、夜になると憂鬱質になるって、自己理解する。