一人の人間として


何かに抗おうとするとき、やっぱり泣きそうになってしまう。

 そうしてでも、守らなきゃいけないものや、突き通さないといけないものがあると、信じている。

 絶対に、譲れない。

 それは、子ども達のために・・・とかではなくて、自分自身の生き方・在り方の問題だ。

 私は、子ども達のために闘うのではなくて、自分自身に嘘をつかないために、闘うのだと思う。

 組合に入ったのも、そういう理由。

 
 3年前の4月。赴任して始めて、職員室へ。

 机の上には、植木鉢に入った「ようこそ」のメッセージが添えられた花と、一編の詩がおいてあった。

 
『私が先生になったとき』


私が先生になったとき

自分が真理から目をそむけて 子どもたちに本当のことが語れるか

私が先生になったとき

自分の未来から目をそむけて 子どもたちに明日のことが語れるか

私が先生になったとき

自分が理想を持たないで 子どもたちにどうして夢が語れるか

私が先生になったとき

自分に誇りを持たないで 子どもたちにどうして胸を張れと言えるか

私が先生になったとき

自分がスクラムの外にいて 子どもたちに仲良くしろと言えるか

私が先生になったとき

自分がたたかいの外にいて 子どもたちに勇気を出せと言えるか

 どういう人間であるか。どういうふうに生きているのか。

 究極のところ、そういうことなのだと思う。

 演じる必要もなければ、距離をとる必要もない。

 人間として、人間として、自然なふるまいをすること。

 そこをつきつめていきたい。