今日からclearly に研究授業モード。
というより、切羽詰まってきたという。
ぐちゃぐちゃと考え続けてきたことを、指導案、ワークシート、パワーポイントという形に起こし始める。
作り始めると、思考がさらに分散し、どんどん壮大になっていくのがこまったちゃん。
学校図書館の先生が貸してくれたキング牧師、ローザ・パークス、黒人差別関連の絵本に目を通す。
いい絵本がいっぱい。
でも、英語劇にしようと思ったら、英語訳がほしいな・・・と、Amazon検索。
おお、原典はハードカバーもペーパーバックも、Kindleもある!
そっかー、Kindle版を買えば、すぐに手に入るし、iPadに入れてそのままスクリーンに映し出すことができるんだーということに喜ぶ。
音楽はThis little light of mine。これは名曲。
彼らはきっと楽しく歌うだろう。
映画『グローリー 明日への行進』。これは最近DVDが発売になったらしい。
必見ね。借りてこよう。
キング牧師の生涯や言葉を改めて学びながら、涙がこみ上げる。
これは、何に対しての涙なんだろう。
自分の何に反応しているんだろう。
夢、という言葉について考える。
夢を描くということ。
夢をかたちにするということ。
夢を語るということ。
夢。
小学校の卒業をあと48日後に控え、
子どもたちは、「夢」を尋ねられ続ける。
PTAの広報用に。
卒業アルバムのプロフィールページに。
外国語活動の最終単元は、「夢宣言をしよう」だし、
国語では、自分の将来に向けてのスピーチ。
外から迫られる機会でもあるし、卒業という節目が、彼らをそういうことを考えたいという気分にさせている側面もあると思う。
明確な将来像を語る子もいれば、こんな大人になりたいと語る子もいて、どれもすてきで。
夢。
私が小学校6年生の時、京都新聞にクラスの一人ずつの夢が掲載されることになった。
「人を喜ばせたり、感動させたりする仕事がしたい」というのが、その頃の私が語った夢だった。
その頃は、女優に憧れていたんだ。
そして、夢。
自分の夢を語ることと同時に、誰かが見た夢を体験してみてはどうだろう、と思う。
私たちも、誰かの夢の中を生きている。
私の夢は、私ひとりでは叶わない。
誰の夢もそうであるように。
キング牧師の夢も、そういう夢で、彼はワシントン大行進で10万人に語りかけたのだ。
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キング牧師の力づよいことば―マーティン・ルーサー・キングの生涯
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最近、親友が「Facebookは言いたいことが言いにくい」とぼやいていた。
ああ、わかる、と思う。
まあ、だから私はブログを使うのだけれど。
Twitterもちょこちょこ再開する。
ただのメモがわり。
反応いらないから。
今日のつぶやき。
昨日の研究会の振り返りも含め。断片的な思いつき。
ワークショップを、てづくりする、ということ。
研修会を、てづくりする、ということ。
外注しない。
手元で大切につくって、手放す。
— YUKA (@Yuka_QP) 2016, 1月 11
トリガー。
複数のテクストと個別の物語を重ねたところにある普遍的で重要な問題を浮かび上がらせる。意図的でありながら、非構成的な。
— YUKA (@Yuka_QP) 2016, 1月 11
演劇的な仕掛け、パフォーマティブ・アクション。その仕掛けにより浮かび上がる、見えなかった仕掛け、暗黙の了解、癖、思考回路、文化・・・。
第三者になるということ。tunnel of oppression.
— YUKA (@Yuka_QP) 2016, 1月 11
デザイン。空間、ワークショップ、カリキュラム、出会い。
音楽でなんとなく始まり、なんとなく終わる。そういう感じ、気分になる。
言葉ではない非言語の了解。
目的地に電車が到着する時に、よし、降りようという気持ちにならざるを得ないような感じ。
— YUKA (@Yuka_QP) 2016, 1月 11
その道、たどりつくまでの道。
偶然、その場で見えてくる答え。
それでよかった、という了解。
ルドンの絵のような。
— YUKA (@Yuka_QP) 2016, 1月 11
可視化された対立にあるずれ。そのずれこそが、そもそもきちんと対立していない感情的歪みが露呈している。感情のもつれは、ロジカルには解決せず、ユーモアとか、遊びで、対立でなくしていくことしかできないのかな。
— YUKA (@Yuka_QP) 2016, 1月 11
お土産があるということ。具体的な。そのことの、不思議な満足感。
「物」にしかできないことがある。
それは、音楽にしかできないことがあることと似ている。
— YUKA (@Yuka_QP) 2016, 1月 11
前提を疑う、安心を手放す、自分に問いかける、違和感を大切にする。
二人のワークショップの共通項。
そのことと教師の成長を、もっと掘り下げる。
その内省の循環を、自分で自分に持っているか。
学習を人任せにしない。外注しない。でも、環境をうまく使う。
自律的学習者になること。
— YUKA (@Yuka_QP) 2016, 1月 11
コンセプトが最初にある。
そこをぐちゃぐちゃと問い直しながら、形にする。
時に、形がコンセプトを明確にすることもあるから、
形式から入ることを批判しすぎなくてもいい。
しかしパッケージにしない。
パッケージにすると死ぬものもあって、
その死んだものに時間を費やすほど暇じゃない。
— YUKA (@Yuka_QP) 2016, 1月 11
パフォーマティブラーニングの破壊的な力。
暴力的にもなりうる。
そこで顕在化するもの。
— YUKA (@Yuka_QP) 2016, 1月 11
ワークショップと対談の関係。
見えていなかったものが見えてくる。
つくられていたけど、意識されていなかったものが
わかる。
— YUKA (@Yuka_QP) 2016, 1月 11
ファシリテーターの意識と無意識をひもとくこと。
躊躇や意図、デザイン、目論見、その解体があることが、参加者に示されることの意味。
— YUKA (@Yuka_QP) 2016, 1月 11
まだ本当に幼い頃。
添い寝してくれる祖母をみながら、この人は、本当に私の祖母だろうかと不安だった。祖母の仮面をつけた別人ではないか、と。祖母に感づかれないように、祖母の顎の深い皺を、そっとなでてみた。
大丈夫、仮面じゃない。
そして、私は眠った。
不安という病。
— YUKA (@Yuka_QP) 2016, 1月 11