自分が自由でない人は

今日、ちおさんの言葉で一番印象に残ったもの

「自分のことを自由にできない人は、人を批判する。人を自由にすることができず、抑圧する。」

自分が自由でないと・・・。
私は、もしかすると、自由でないと思っていたけど、そういう意味では自由なのかもしれないという気もする。


今日のアートワークのテーマは言語感覚。
言語は思考をつくる。
日本語にかたちづくられた思考。


先日は、Yes,Noをはっきりと主張する英語という言語で、NOを言うシーン、言われるシーンをつくったところだ。
英語という言語が持つ意思の力、変革の力、パワー。
その日本語との質の違いを味わうことが、言語文化理解にとってとても有意義だ、そのことを演劇は感じることができると、ある先生が感想を述べてくれたことを思い出す。
色んなことが、吸い寄せられるようにつながってくる。
多分、今はそういう星の巡りに入ったのだと思う。
石井ゆかりさんも、そんなふうに言っている。


今年に入ってから、風向きなのか、何かが変わり始めた。
まだ、何なのかわからない。
ただ、見えないけど、進むことを後押しする、強い力が自分の中にある、という気がする。


まだまだ、自分を自分で不自由にしている。
人と比べてばかりだし、勝手に色んなことに落ち込んだり、ずっと変わらない不自由の中から抜け出られたわけじゃない。


今日のアートワークで、「客観的に見て、自分が非言語メッセージで周囲の人にどんなことを伝えているか」というテーマが与えられた。


私は、自画像を描くことにした。
久々。14歳、そして17歳のときに2枚描いただけの自画像。
14歳のとき、美術で描いた自画像は、唇をきゅっと噛んだ表情を描いた。笑顔はどうしてもつくれず、小さな、精一杯のプロテストだった。何か、色んなものへの。そして、そういう自己主張をしたかったのだと思う。



17歳の時は油絵で描いた。これは、とにかく気に入らなくて、何度も描き直して、でも、全然気に入らなくて、私じゃない、と思った。でも、どんなふうに描いても、わたしにはならなかった。実家の片隅に飾ってあるけど、見るたびに心があの時のざらっとした感じになる。でも、その感じを思い出すのは悪くないと思い、そのままにしている。未完成で、完成している。


で、今日。わたしは、明るい人、やさしい人、と言われることが多いので、明るい色でやさしい感じに描いた。
でも、難しい、ふしぎ、わからん、とも言われるので半分しか描かなかった。

15分くらいで描いたけど、なんとなく満足感。
17歳の時は、何時間かけても完成できなかったのに。
なんだろう、これって、なんだろう。


絵を描くことは、高校時代の自分をたどる旅だ。
選択美術。3年間のふっきれない感じ。直視したくない感じ、その謎とその自分と少しずつ和解していく。
アートワークとの出会いが答えるもの、それは、高校時代からひきずる問いのようで。
でも、それだけじゃない。
もっと、もっと、大きなものに導かれている。
そういう気がしている。