ひっかかりつづける未完成のものを完成させたくなるときがきたならば

アートワーク。
シュタイナー十二感覚論をベースにした講座、今日のテーマは「味覚」。

アートワークの先生は語る。
「消化のプロセスは、受胎プロセスと同じ」、「自分で十分味わったものだからこそ、文化になっていく」。
味覚をめぐるワークや問い、とてもとてもおもしろい。ここには書かないけど。

それは、私にとって、ミュージカルのこと。
5月末にLION KINGのミュージカルを経験したことが、今回の運動会の表現につながっている。

描いた「味覚」のタイトルは「ハーモニー」。それぞれの味の違いを引き立て合うことで、生まれる味のハーモニー。
子どもたちのパフォーマンスの様子を絵にした。
それぞれの強み、弱みを生かし合いながら、異質でばらばらでありつつも、調和がとれているような状態。
それが、私にとっての「すばらしい味」。
なまけものは、なまけもののまま、ピラミッドに参加できる。
そのユーモラスなアイデアが、周りから祝福されている状態。
生物多様性、生命の循環、連鎖、長い歴史の中に息づく自分。また、自分の中に生きるたくさんの生命。
自分が吸収したものを栄養として与え、また、そこから新たな生命が生まれていくこと。
それは、私が自分の全身で経験として学んだことを、子どもと共有することと似ている。
私たちもまた、文化の循環の中にいる。
「好きなものだから、伝えることができるんだね」と言われる。
本当にそう。
好きなことを学ぶ。そして、それを伝える。
そんなシンプルな循環の中に、身を置いていたい。

最初は、ううん、何を描こうと戸惑うのだけれど、描くことが見つかると、あとは夢中で手が動く。
最近、絵を描くことが楽しい。
アートワークを初めてよかった・・・。


高校の時、選択科目で美術を選んだ。
3年間学んだが、悩みの連続で、なかなか思う絵が描けずに、苦しんだ。
友人に絵描きが多かったのも、余計にコンプレックスを増幅した。
自分で満足のいくような絵を描きたいと思っていたが、結局、描くことはできなかった。
自画像、シューズ、静物画、ポスター・・・実家に飾ってあるけれど、いつも複雑な思いで見つめてしまう。
高校3年の最後の作品は絵本だったが、作品づくりに集中できず、結局未完成・未提出のままで、美術の先生に会うのが後ろめたく、長いこと避けるようにしていた。とにかく、描けなかった。
デザインは好きだったけど、絵画は、とにかく苦手意識が強くなったままで。


アートワークと出会い、もう一度、絵を描くことの楽しさに出会い直している感じ。
高校時代は、何かすごいもの、リアルなもの、訴えかけるものを表現しなくっちゃって、気負いすぎてたんだろうな。
写実的な表現や油絵とは相性が悪かったんだ。
でも、そういう経験をしたことにも、今から意味を見出していけそうな気がする。
18歳の夏の未完成のままの絵本を、いつか仕上げたくなりそうな気がする。


家の壁面が作品で埋まっていく。
私の中にも、こんな美しい色やイメージが眠っているんだ。
そういう驚きや喜び。
今、私にとって絵を描くことは、そういう経験。
感覚論をテーマに絵を描きながら、世界とのつながり、自分の認識を再構成する。
絵は、誰のものでもない。ましてや評価の対象などではない。
私とテーマとの対話のプロセス。
高校生の私には、それがわからなかったんだなあ。