朗読

今年度、初めて、リーダーズ・シアターに取り組んだ。

リーダーズ・シアター。朗読劇のこと。台本を持ちながら、声による演出で、観客にイメージを伝えていく劇。

10月、宮沢賢治『やまなし』を読んだ後、賢治の作品をグループで選び、自分達が朗読したい部分を切り取って表現した。参考にしたのは、Eテレ「100分de名著」宮澤賢治スペシャルの中の原田郁子さんの朗読。

www.nhk.or.jp

 

子ども達の選ぶ作品も、選ぶパートも、かなりいいセンス。

声だけで、と伝えながらも、発表前に「空間や立ち位置の工夫はOK」ということにする。

「猫の事務所」を読んだグループは、机を事務所風に。

銀河鉄道の夜」を選んだグループは、ジョバンニとカムパネルラのみが立って読むスタイルにしていた。

なかなかいい感じだったので、来年も同じ方法でやってみようと思っている。

 

 

今、私自身も朗読のワークショップを受けている。

毎週金曜日。吉田美彦先生のガイドのもと、「チェルノブイリの祈り」という作品の一部を読んでいる。

blogs.yahoo.co.jp

声に出すことは、私にとって、遠いものに少しちかづくための、とてもよい方法だと感じる。

 

 

子どもの頃から音読や読み聞かせが好きだった。

それはもちろん、図書館司書だった母の影響だろう。

大学生の頃は図書館に読み聞かせボランティアに行っていた。

思い出すのは国語科教育法の授業。

1限の授業に、いつも遅刻して行っていた。

とにかく、朝は起きれないのだ。

その日。『風のゆうれい』という作品を取り上げた授業だった。

遅れてきた私に読む順番が回ってきた。

結構な分量を一人で読んだ。

すると、担当の先生がため息をついて、こう言った。

「君は毎回毎回遅刻してくるどうしようもない奴だが、音読は上手い。それが癪に障る。ちゃんと時間に来なさい。」

それでも、朝は起きれなかった。

f:id:Yuka-QP:20150716222920j:plain

 

『旅立ちは、フラジャイル。』

 

 旅立ちは、フラジャイルだ。

日常の中でしまいこんできた何かが、あふれだし、決壊してしまうような瞬間がある。

 

2004年8月。21歳の誕生日を目前にした夏。

その日、私はアメリカ・ウィスコンシン州に向かう飛行機の中にいた。

ウィスコンシン大学オークレア校への留学のためだった。

関西国際空港まで、母と大学の友人たちが見送りに来てくれた。

一人、ノースウエスト航空の飛行機に乗り込み、考えていたこと。それは、行く先のことや生活ではなく、これから10カ月あまり離れてしまう日本の人々のことだった。

出発のギリギリまでにぎりしめていたのは何色の携帯電話だっただろうか。

wifiスマートフォンが普及していなかった当時、連絡手段は国際電話やE-mailだった。

飛行機に乗り込み、あと少しで使えなくなる携帯電話から母にメールを送りながら、ぼろぼろ涙がこぼれた。

「苦労の多い中、ここまで育ててくれてありがとう。」

大学の学費や留学に関わる費用の工面。そもそも、一人親で私と弟を育てることの大変さは並大抵のものではなかっただろう。面と向かってはなかなか感謝の言葉を言えない強がりな私も、旅立ちの瞬間にやっと素直に思いを言葉にできた。今しか言えないような、そんな気もして、夢中でメールを打った。

 

父が消えた小4の夏。

母は、地区の夏祭りの催しであるカラオケ大会に出場することになっていた。神社に設置されたステージ。暗闇に浮かぶ紅白幕。そこで母が歌ったのは、荒井由実の『卒業写真』だった。数ヶ月前から、家の中や車の中でずーっと練習をしていた。父がどこへ行ったかもしれない中、ステージに立つ母を見ながら「よく、こんな精神状態でこの歌を歌えるな」と子どもながらに思ったものだった。

 当時、母のカーステレオでよくかかっていた荒井由実の楽曲は、子どもの私には寂しすぎた。歌声から浮かぶ景色は、二度と戻れない過去の前に立ち尽くしてしまうような感じがした。「歌を歌っている時、人は、みんな一人ぼっちなんだろうか」「大人になったら、こういう歌を平気で聴けるようになるんだろうか」と、将来への不安を覚えたほどだった(もちろん、今の私は、どんな悲しい曲も、寂しい曲も聴ける)。

 

今なら言葉にできる。彼女の声や歌は、フラジャイル(fragile)だ、と。

フラジャイル。留学先で知った言葉だ。届いた荷物のダンボール箱に貼り付けられていた。壊れやすい、脆いという意味。生活経験とつながって、すぐに覚えられた。

そう。ユーミンの歌、歌声は、私にとっては、フラジャイルだ。

当時の母の姿とも重なり、余計にそのように感じられるのかもしれない。

彼女の歌を聴く時、私はひどく脆い存在になったように感じる。

いや、一人になりたい時、心細い時に、彼女の歌を欲するというのもある。

いつか少女だった私と、なんら変わらない脆さを持った自分に立ち戻るために。

 

 

あの頃。

家の納戸に置かれた化粧台。

子どもの頃の私は、そこに座り、母のいない間にこっそり口紅を塗ったり、アイメイクをしたりした。

その化粧台の隅に飾られていたモノクロ写真は、母が若い頃の写真だった。

若い頃はモテて、何人もからプロポーズされたという母。

しかし、兄が交通事故で亡くなり、田舎に帰る選択をした母。

そして今、二人の子どもを抱えて厳しい状況に立たされている母。

母にはもっと別の人生もあったのではないだろうか。

人生の岐路に立つ母が歌う『卒業写真』は、かなしかった。

 

そんないくつもの記憶が、出発前の飛行機の中でよみがえってくる。

自分自身の旅立ちの瞬間に思いもよらず押し寄せてきたもの。それは、私の中にある母の物語だった。

決壊、という言葉が似つかわしいほど、飛行機の中で私は泣いた。

 

さて、日常に戻れば、旅立ちのフラジャイルをどこかに置き忘れ、図太く、ふてぶてしく、したたかに生きる。

あの夏の飛行機で起こったフラジャイルは、そうそう頻繁には起こらない。

だから、こうして生きていけるのだろう。

昔より、ずっと強くなった私は、あの頃の母に近い年齢になった。

今となれば、あの境遇で『卒業写真』を歌えた母の心境も、少しわかる気がする。

 

預かった手紙

いよいよ冬休みも終わってしまうというので、全然チェックがつかないままの冬休みやることリストにとりかかる。

全劇研の講座についてのコメント。
研究推進部の教職員アンケートの入力。
研究会の打ち合わせ。
研究発表会についての研修ブログの更新(まだ途中・・・)。

そして、なぜか縦書きができなくなっていたWordを直すため、Office365購入。
快適になった。

来週末は成人式がある。
今の勤務校に来たばかりの頃、5年、6年と受け持った子どもたちの成人式だ。
卒業式1週間前に震災が起きたのだった。
黙祷から始まった卒業式だった。

成人式とか、結婚式とか、セレモニーは、あんまり得意じゃないけど、
預かった手紙を持っていかなきゃ。
彼らが12歳の時、卒業前に、20歳の自分に向けて書いた手紙。
職員室のロッカーに入っているよ。



リハビリしなきゃと思って、ブログを書き出した。
2015年、2016年は書かないことがしんどくて、ひたすら書いてたけど、ここ2年程は、安定しているので言葉が出てこない。私の場合は、言葉は、不安定な時に出てくる。
そう、祈りの言葉に似ている。


新年初映画は『沈黙ーサイレンスー』。重すぎた。途中で、何度か目を覆いたくなるシーンもあり、実際に、2回、止めてしまう。でも、最後まで観た。今年最初にして、一番の作品になる気がする。色々思うことを書いたけれど、全然まとまらないので、レビューはなし。長崎にもう一度行こうと思う。

「踏むがいい。お前の足は今、痛いだろう。今日まで私の顔を踏んだ人間たちと同じように痛むだろう。だがその足の痛さだけでもう充分だ。私はお前たちのその痛さと苦しみをわかちあう。そのために私はいるのだから。」『沈黙』(遠藤周作

痛み、について、ずっと考えている。

同型性

 朝一。
 学校に行って、5年生の子どもたちに手伝ってもらって、研究発表会後の椅子の後片付けをすることになっていた。
 行くと、既に大方の片付けが終わっている。休みの日に、管理職の先生方がそれぞれ来てやってくださっていたようだ。感謝・・・。

 月初めの全校朝会。今日は人権集会の位置付け。
 同僚の人権主任の話の後、児童会の子どもたちによる人権をテーマにした劇。
 私はノータッチで、児童会担当の教師の指導による劇発表だった。
  
 日常のシチュエーションを劇で伝え、ナレーションが織り交ぜられる。
 給食をひっくり返してしまった時、周りの子たちがかけより、一緒に片付けをしてくれるシーン。
 「こんなふうに手伝ってもらえると、給食をひっくり返してしまったショックな気持ちもやわらぎますね」というナレーション。

 校庭で転がっていったボールをとってもらった時の返し方「いやなパターン」と「うれしいパターン」の二つを対比的なロールプレイで。

 いやあ、、、授業でやっているようなことが、どんどん展開されていくのでびっくりする。
 
 そして、劇の構成や内容が、先日の教職員劇とほぼ同じ。
 日常を描き、解説が入り、最後は全員が登場し・・・。うーん、これも同型性やなあ。

 終了後、児童会担当の先生に感想を伝え、台本はどうしたのかと聞くと、子どもたちがアイデアを出し、シーンも子どもたちが作っていったのだという。すごい。

 研発後、初の勤務日。
 
 校内のあちこちで、労いの言葉をかけられる。

 また、こうした通りすがりの会話の積み重ねが日々をつくっていっていくのだ、と、思う。
 
 夕方遅くから小教研国語部の役員会へ。
 他校の教務、教頭と3人で話しながら、どこの学校の状況も本当に大変で心が痛くなる。

 せめて、そんな中で行う授業研は、心温まるものにしたいという話を。
 事後研で授業の再現を行い、学習者の追体験をしてみてはどうか、という提案をすると、「ああ、それは、将棋の対局の後に再現する行為みたいなものやね」という話になる。

 棋士も、そうやって、再現しながらリフレクションするのかあ。面白いなあ。

 出張先が家に近い場所だったので、同僚に「もう帰ってこなくていいよ。」と言われ、そのまま退勤。
 
 家に帰って、ぐったりと寝てしまう。
 まだちょっと、疲れてるみたい。

 

【授業研究のあり方 試論】2017/01/20

 2017年1月19日(木)に実施した5年国語科『わらぐつの中の神様』(杉みき子・作)の事前研後に記したものです。

授業研究のあり方 試論  2017/01/20 @新横浜への新幹線にて

・授業検討会は、反省会にしてはならない。 授業者が何を願い、その願いを実現するためにどんな仕掛けをし、手立てを打ったかを、授業者の気持ちに寄り添いなが ら行うこと。
授業者がその目で何を見て、見たものをどのように感じたり、解釈したりしていたかを丁寧に拾い上げ、 また、それぞれの目にうつったものをかさねながら、その場で起こっていたことの意味を生成すること。 自分自身の「授業はこうあるべき」「教材はこう読むべき」という落としどころやゴールに強引に引き寄せながら、 「いい」「悪い」を言う場ではない。
自分のものさしで測らない。
意味を生成、探究する場であること。

・研究授業は未完成であること。 実験的であり、自分自身がやったことのない、この世に存在しない未知のものであること。 そして、授業者、こどもは、その未知のものに挑むパートナーであり、最大限リスペクトする存在であること。 キング牧師の授業の時も、今回のわらぐつもそうだった。
自分たちの未知に挑戦すること。
どこかにある正解をなぞったり、賢い答えを言ったりする場ではない。 自分の人生を豊かにすること、未知のものをともに探求する過程こそが、授業づくりであり、クラスづくりであること。

・物語を読む、ということは自分を読むことであり、可能性は無限である。 こどもらしいやわらかい読みが出てくること、
その子なりの感性で読み、味わうこと、
人物に合わせて自分が語られること、投影されること、 そして、その読みのプロセスで、自分自身も変容したり、考えが深まったりしていくこと、 人物の思いを追体験していくことに、物語の本質があること。 教科書でおさえたい項目や、大人の押し付けたい価値観よりも、こどもは、自由に物語を楽しむ。 そのやわらかい読みを引き出す仕掛けこそ、私がねらいとするものであった。
わらぐつを履いて行きますか?という問いに対し、 「金具にはまらないから、おじいちゃんおばあちゃんにわらぐつの作り方を教わって、自分で合うようにつくったものを はいていく」と答える子。 「雪下駄をはきますか」という問いに、おばあちゃんが大切にしていたものだから、傷つけたくないから、はかない、と いう子。
大人の想像なんか、するりとこえていくやわらかな読み。 そこには、祖父母を想うやさしい、その子たち自身の感性がにじみでるように感じられる。 私にとっては、それが授業のハイライトだった。
それから、Aくんが、物語にない「へ~」というセリフを自然につぶやいていたこと。 音読で、その人物に入り込んでいると、そんなことが起こるのだと思った。 目をくりくりさせたり、手を打ったり、その後の声の質が変わったり、 そういうこどもたちの柔軟な変化、なりきっていく中でいきいきと動いていく心と体、 それを感じることが、授業者としてこの授業をおこなった側の喜びだった。
最後のまとめって、いるんだろうか。
みんなで確認していくことっているんだろうか。
「おさえ」ていくことって、いるんだろうか。
そういう授業のアタリマエを問い直し、 今回の授業の意味を、その意味の萌芽を見出し、育てていくことこそが、授業研究ではないのか。
私が、見ていた景色と、まるで違う景色をみる人。 腕組みしながら、ひそひそ話しながら授業を見て、それで、その見ている人の心に変容は生まれるの か。

私は、こどもの読みの前に、ただただ立ち尽くし、ひれふし、圧倒され、無力感を感じた。 こどもに感動できる授業、私の目指す授業は、そういうものかもしれない。 こどもたちのやわらかい読みに涙し、教えてもらうことがたくさんある授業。
そうそう、いつだったか、ショーン・キンリーが言っていた。 いい授業は、先生も生徒も学ぶことがあるんだって。

私たち教師は、こどもの前で偉そうに立つ人じゃない。
答えを知っている人じゃない。 それぞれの人間の素晴らしさを見つけ、その子らしさを見つけ、それを喜んだり、祝福しあったりするような存在じゃな いのか。
神様は、そういうところに、奇跡のようにあらわれるんじゃないだろうか。
私は、3組のこどもたちの姿に感動したし、3人のマサエのホット・シーティングの姿で、もう十分だ、なんて思ってし まった。
授業者としては未熟かもしれないが、それが、私の授業で目指す姿だったのだ。 いや、目にしたことのなにものを見せてもらった。こどもたちに。 私が思い描くもの以上の読み手の景色を見せてもらった。物語の景色を見せてもらった。 マサエが祖父母といっしょにわらぐつをつくるあたたかな風景が浮かんできた。 これは、私が一人で物語を読んでいては、決して思い描くことのできない景色だった。 そこに、私の目指す価値があった。

昨日は、つらかった。授業観を共有できず、協働的に教師が育ちあい、ともにつくりあげる授業研究を全くつくってこれなかった、 研究主任としての私自身の至らなさが悔しく、孤独で、悲しかった。
あの時、こどもたちの姿に感動したのは、私ひとりだったのかと想うと、本当に悲しかった。
みんな、黒板に書かれた意見ばかり見ていたのか。
スムーズなやりとりのできなさばかり?
どうして、こどもたちの心の動きやすばらしさに目を向けられないのか。

私は、泣けてよかった。
本番の授業では、私が大事にしたいものを大事にしよう。 私の授業は、こぢんまりとした、きれいにまとまった、指導書のような授業をすることじゃない。 糸井先生も、小さくまとまるなんてつまらないって言ってたでしょう。 オープンエンド、とかっていう言葉でまとめちゃだめだ。

あの子たちは、作品をこえたんだ。 自分をこえたんだ。 作品と自分が出会うことで、新しい世界を見たんだ。 涙が止まらない。
自分を追い越していく。 それが、ホット・シーティングであり、演劇なんだ。 言葉でうまく説明できなくてもいい。
本番の授業でも、そんなことが伝えられたらいいな。 私が、こどもの読みに感動している姿を、伝えられるといいな。 そういう授業の意味を、みんなで考えていけるといい。 研究授業での質問も、授業者の願いや、こどもに体験させたかったこと、 あの場の意味を、想像していくような対話でありたい。 正解に照らし合わせる場なんかじゃなく。

卯月


国語加配の仕事も3年目。
一昨年より去年、去年より今年、どんどん授業がうまくいかないように感じる。
毎日、反省すること多し。
うまくいかない原因はなんなのか。
うまくいかないと感じている私の考え方に問題があるのか。
うまくいかないことで同僚と会話がうまれることに意味があるのか。
問われ続ける日々。


4年生は『白いぼうし』。
役割を決めて動作化しながら音読をした後、問いづくりのレッスン。
色々問いを出し、ポイントを確認する。
その後、担任の先生に松井さんになってもらい、1場面のホット・シーティング。
子どもたちは記者になってインタビュー。その後、インタビューを通して感じた松井さんの人柄を話し合う。
授業後、今年来られたばかりの先生が、「なんとなくわかってきました。」と言ってくださる。

6年生は『カレーライス』。
「ぼく」への質問はおもしろいものが出るが、ココロ会議は、思ったようにいかない。
「ぼく」は共感できすぎるから、あえて、「なってみる」を使わずに読む方がいいのかな…。
「もっとなりきって語ってほしいよね。」と同僚。
うーん、どこに突破口があるかな。
去年は、お父さんにだけ、ホット・シーティングしたんだよね。
さて、どうしたものか。

5年生は物語単元は終了。
明日から『新聞を読もう』。朝日小学生新聞に早稲田大の「じゃんけんにキューを加えて・・・」という小論文の問題についての記事がのっていたので、その記事を取り上げて導入をすることにする。

初夏の匂いがする。
沈みそうになっても、決して沈みこまない季節の匂い。


私は、新学期が多分、わりと好きだった。
新しい教科書も好きだったし、文学を読むのも好きだった。
4月に勉強した文学作品、わりと覚えているもの。
あ、18時でも随分明るいなって思う時、いつも4月の終わりの連休に、弟と庭でキャッチボールをしていたことを思い出す。
いつまでも、外で遊べる季節が好きだった。


ああ、のんびりいこう。まだ始まって2週間だよ・・・。あせらない、あせらない。
中庭に花水木が咲いていて、そんな話もしてないもんね。

慣れる

今日から学校。

6年生の担任の先生たちと、研究授業に向けての話をざっくりと。
「試行錯誤のトンネル」を、他の授業でどんなふうに取り入れていくか。
言語活動や手法が、彼らの「思考の道具」になるためには、慣れがいる。

今日は、B7からEmのコードが、ちょっとスムーズに抑えられるようになって、嬉しかった。
そう、慣れないと、自由に操れないし、思考がストップしてしまう。
思考の道具にするためには、慣れも必要。
つまり、使うということ。遊ぶということ。

演劇的手法が、彼らの学びの方法の引き出しに入って、自由に取り出せて、使えるといいな、と思う。

なんで、いいと思うんだろう。

自分を超えられるから。
想定外の自分にアクセスできるから。
それから、なんだろう。

気持ちの浮き沈みは、相変わらずで、
それでも、ちょっとだけ、立ち直りが早くなった気がする。
メトロノームふりきれたり、また戻ったり。
鍋で白米炊きながら、自分の心をそっくり誰かにあげてもいい、と思う。


 

やさしい声が好き。