『旅立ちは、フラジャイル。』

 

 旅立ちは、フラジャイルだ。

日常の中でしまいこんできた何かが、あふれだし、決壊してしまうような瞬間がある。

 

2004年8月。21歳の誕生日を目前にした夏。

その日、私はアメリカ・ウィスコンシン州に向かう飛行機の中にいた。

ウィスコンシン大学オークレア校への留学のためだった。

関西国際空港まで、母と大学の友人たちが見送りに来てくれた。

一人、ノースウエスト航空の飛行機に乗り込み、考えていたこと。それは、行く先のことや生活ではなく、これから10カ月あまり離れてしまう日本の人々のことだった。

出発のギリギリまでにぎりしめていたのは何色の携帯電話だっただろうか。

wifiスマートフォンが普及していなかった当時、連絡手段は国際電話やE-mailだった。

飛行機に乗り込み、あと少しで使えなくなる携帯電話から母にメールを送りながら、ぼろぼろ涙がこぼれた。

「苦労の多い中、ここまで育ててくれてありがとう。」

大学の学費や留学に関わる費用の工面。そもそも、一人親で私と弟を育てることの大変さは並大抵のものではなかっただろう。面と向かってはなかなか感謝の言葉を言えない強がりな私も、旅立ちの瞬間にやっと素直に思いを言葉にできた。今しか言えないような、そんな気もして、夢中でメールを打った。

 

父が消えた小4の夏。

母は、地区の夏祭りの催しであるカラオケ大会に出場することになっていた。神社に設置されたステージ。暗闇に浮かぶ紅白幕。そこで母が歌ったのは、荒井由実の『卒業写真』だった。数ヶ月前から、家の中や車の中でずーっと練習をしていた。父がどこへ行ったかもしれない中、ステージに立つ母を見ながら「よく、こんな精神状態でこの歌を歌えるな」と子どもながらに思ったものだった。

 当時、母のカーステレオでよくかかっていた荒井由実の楽曲は、子どもの私には寂しすぎた。歌声から浮かぶ景色は、二度と戻れない過去の前に立ち尽くしてしまうような感じがした。「歌を歌っている時、人は、みんな一人ぼっちなんだろうか」「大人になったら、こういう歌を平気で聴けるようになるんだろうか」と、将来への不安を覚えたほどだった(もちろん、今の私は、どんな悲しい曲も、寂しい曲も聴ける)。

 

今なら言葉にできる。彼女の声や歌は、フラジャイル(fragile)だ、と。

フラジャイル。留学先で知った言葉だ。届いた荷物のダンボール箱に貼り付けられていた。壊れやすい、脆いという意味。生活経験とつながって、すぐに覚えられた。

そう。ユーミンの歌、歌声は、私にとっては、フラジャイルだ。

当時の母の姿とも重なり、余計にそのように感じられるのかもしれない。

彼女の歌を聴く時、私はひどく脆い存在になったように感じる。

いや、一人になりたい時、心細い時に、彼女の歌を欲するというのもある。

いつか少女だった私と、なんら変わらない脆さを持った自分に立ち戻るために。

 

 

あの頃。

家の納戸に置かれた化粧台。

子どもの頃の私は、そこに座り、母のいない間にこっそり口紅を塗ったり、アイメイクをしたりした。

その化粧台の隅に飾られていたモノクロ写真は、母が若い頃の写真だった。

若い頃はモテて、何人もからプロポーズされたという母。

しかし、兄が交通事故で亡くなり、田舎に帰る選択をした母。

そして今、二人の子どもを抱えて厳しい状況に立たされている母。

母にはもっと別の人生もあったのではないだろうか。

人生の岐路に立つ母が歌う『卒業写真』は、かなしかった。

 

そんないくつもの記憶が、出発前の飛行機の中でよみがえってくる。

自分自身の旅立ちの瞬間に思いもよらず押し寄せてきたもの。それは、私の中にある母の物語だった。

決壊、という言葉が似つかわしいほど、飛行機の中で私は泣いた。

 

さて、日常に戻れば、旅立ちのフラジャイルをどこかに置き忘れ、図太く、ふてぶてしく、したたかに生きる。

あの夏の飛行機で起こったフラジャイルは、そうそう頻繁には起こらない。

だから、こうして生きていけるのだろう。

昔より、ずっと強くなった私は、あの頃の母に近い年齢になった。

今となれば、あの境遇で『卒業写真』を歌えた母の心境も、少しわかる気がする。