手のひらの中から

クリスマス・イヴの夜にウクレレを買った。
この夏以降、ずっと弦楽器が欲しい、弦楽器を弾きたいと思っていた。
いくつかきっかけはあるのだけれど、
その一つは、夏のシュタイナー学校の授業の中でギターを弾いたこと。
8年生の心の複雑さに寄り添っていくギターの和音の響きが心に残った。

ギターは私のことだから、きっと挫折する・・・と思ったので、「ウクレレをください。」って。

それから、冬、そして年末年始を乗り越えるために。
私の苦手な年末年始。
何かを手のひらにのせ、私の時間を生み出していきたかった。
ただ、過ぎるのを待つような時間にならないように。

多分、ウクレレは、私の願いに応えてくれた。

和音の移り変わりって、こんなに美しいものだったのだな。
ストロークって、こんなふうに音楽をつくっていくのだな。
自分でコードを弾いてみて、歌の奥深さを知る。


去年は演劇の舞台に立った。
演劇について学ぶことが、私を助けてくれた。
生きていくことは難しい。
年末年始を越えることも難しい。
そうした時に自分を救うのは、実感を伴う何か、だ。

新年最初の曲。湯川潮音「その日わたしは」
いつか、この曲をギターで弾けるようになるといいな。

https://virginbabylonrecords.bandcamp.com/track/feat-2


「その日 わたしは 音楽の中にいたから」

初夏


昨夜の安楽寺でのタテタカコさんのライブで聴いた「Soleado de la vida」が素晴らしくて。
「哀しみのソレアード」と訳されている曲だが、タテさんは、「人生のひだまり」という題名で、
自分なりの言葉に訳し、歌っているという。

音楽っていうのは、その人の心の中に響くものなのだなって。
その時々で、その曲を聴いていても見える景色も湧き上がる感情も異なる。
ここ数年は、彼女のライブで泣くことが多かったが、昨日は、もっと違う景色を見ている私がいた。
その自分を冷静に受け止める。
自分の心の声を聴くように、歌声を聴いている。
そして、歌声を聴きながらメロウさんが即興で描くペインティングの中の人々にも、私を見つけ、重ねながら。


今日は、本当に生産性とはかけ離れた何もできない1日だった。
ただ、音楽を聴いていた。
この曲、覚和歌子さんの作詞なんだなあ。
今年は、彼女の詩に縁がある。
覚さんの話、聞きに行きたい。

6月はシャンソンが似合う。
マダム・ジーナの歌う「さくらんぼの実る頃」も、初夏のイメージ。


昨夜、やっとクチナシの咲いた小道を通った。
クチナシの甘い香り。
初夏。
夏の記憶が、順々に蘇っていく。
高校生の頃の帰り道、
小学生の頃の食事の風景、
生まれる前の記憶まで。

問いをつくる

『人生には、答えは無数にある しかし 質問はたった一度しかできない』寺山修司


この言葉、どういう意味だろうって。
あ、なんとなくわかるって。
大学生の頃、友人と話した記憶。


今年度の研究テーマのkeyは、「問いをつくる力を育てる」ということ。
演劇的手法の一つである「ホット・シーティング」も、問いを引き出す学習装置として機能する。
新聞記事から意見文を書く学習では、同じ新聞から、一人ひとりの関心に合わせて各自が「問いかけ(話題提起)」をする。
そして、その答えに当たるところを要約し、最後に自分の意見を書くという3段落構成。

そう。
生きていく中で、問いは自分でつくらないといけないんだ。
そして、問いに答えるのもまた、自分自身なのだ。


毎日、いくつもの問いが、私の頭の中をめぐる。
簡単には答えられない問いや、誰かに尋ねてみたい問いがある。
決して知ることなどできないだろう問いもあるし、
問うことが怖くて、答えがわかったふりをしていることだってある。


今週は、『一つの花』(今西祐行・作)の研究授業。
週末は、平和を歌った歌、反戦歌を聴き続けた。
この世界の片隅に』を観に行ったことを思い出したり。


「かわいい絵をちりばめた 飛行機が夢をのせて 大空を羽ばたく この時代に 僕は何をしよう…。」
『この時代に』(作詞・作曲 中山 真理)


この最後の問いは、私自身の問いでもあり、それに答える生き方をしないといけないな、と思っている。
そして、学習者である子どもたちとも、その問いを共有したいと思っている。


たった一度の質問。
たった一度の人生。

writer

2ヶ月ほったらかしていた日記。


数ヶ月前、この週末は、金沢に行こうかと考えていた。
Waltz of the rainに参加するために。
大好きな6月に、金沢の街で、Ann Sallyを聴けたらいいなあって思ったから。


でも、ひと月ほど前に、その予定を一度白紙に戻した。
今回は、色んなことが間に合わなかった。
それに、またいつか行く日がくる気がするから。


文章を書いたり、文章を書く人に立ち会ったりする日々。
書くためには、題材とか、書き方とか、環境とか、道具とか、色々あるわけだけれど、
わたしが書くために必要なのは、読んでほしい誰かだと思う。


最近、昼休みに国語ルームにやってくる少年。
やっと「書く」モードに入ったらしく、授業中になかなか進まなかった課題を持ってやってくる。
ひとつ書き上がると「書けた!」と叫ぶ。
作業しながら「よっしゃ!」と言う私に、
「せんせい、ほんまに、そう思ってる?」「背中向けたまま、”よっしゃ”って、ほんまに思ってる?」とつっこんでくる。


「ぼくは、書き出しを思いつくのに、すごい時間がかかる。」
「書き出しさえ思い浮かんだら、後は書ける。」らしい。
どうやったら書けるか、どういう時によく書けるか、何を考えたり使ったりしながら書いているか、
自分自身がどんな書き手であるのか、そういう話をするのは、とても楽しい。


私は、書き出すことが苦手な子には、例を示すようにしているんだけど、その子は、絶対にその例は使わない。
それ以外のものを思いつき、満足そうに、書き上げる。
そういうの、すごくいいなあと思う。


 


いい歌。
ああ、初夏。
好きすぎる季節。
好きすぎる川沿いの小道を、何度も通ってしまう。

途上


午前中は緑ちゃんと待ち合わせ。
お好み焼きを食べながら、今年度の研究の相談にのってもらう。
話しながら、お互いに新しいステージにいるんだなって思う。


午後からアトリエ劇研。
シンポジウム『劇場の33年と未来』。
そっか・・・1984年にオープンしたのね。
私も33歳なので、ほぼ同い歳。



アトリエ劇研で初めて舞台を観たのは2006年6月。
コンテンポラリーダンス作品だった。
教員になって京都に来たばかりだった。
あの日から、色んな作品を観たり、ワークショップに行ったりするようになった。


あれから十年以上が過ぎ、
この夏、劇研は閉館してしまう。
さびしい。
こんなにいい劇場が閉じてしまうなんて。


シンポの中で、劇場が作品やアーティスト、観る人を育ててきた、という話題が出た。
そこで、先日の送別会で異動される事務さんが語っておられた言葉が頭をよぎる。


「いい学校をつくろうと思って、仕事をしてきました。」


ああ、私は、何を思って毎日、仕事しているだろう。
生きているだろう。
素晴らしい仕事に触れる度に、
私自身のことを振り返り、心細い気持ちになる。


6月の私宛に、メッセージを書く。
あと2ヶ月、自分を励ましつつ。

小さく悔やむ

約3ヶ月ぶりに帰省する。
次に帰ってくるのはいつだろう。


最近、また宮沢さんの歌ばかり聴いている。


ある子が工藤直子さんの「はじめて」というすてきな詩を視写していた。
その詩を検索すると、なぜか「十六夜月に照らされて」が検索トップに上がってくる。
そこで、今夜は新月だけれど、聴いている。
宮沢さんの歌う風も星も月も道も、全部好き。
十代の頃から、ずっと聴いてる。
真夜中。実家の二階で夜風に吹かれながら、宮沢さんの歌を聴きつつ、手紙を書いたことを思い出す。
大切な人への手紙だった。
そして、その数年後には、その関係は立ち行かなくなった。
お別れのシーズン。
同僚と話しながら、
ああ、もう、この人とはこうしていっしょに食事をすることもないのかもしれない。
こんなふうに語らうこともないかもしれない、と思いつつ、
そういう一瞬、一瞬にうまく向き合えないわたしがいる。
これからも永遠に続くように、今日を終えてしまったことを、小さく悔やむ。
お別れがうまくできない。
十代のわたしの方が、ずっと誠実だった。

11歳の彼ら一人ひとりが、
今の自分、6年生の自分へ、というテーマでたくさんの詩集の中から、ひとつの詩を選ぶ。
詩は、作品袋に視写。
彼らが選んだ詩が、とってもすてきで、
一人ひとりのものを圧倒されながら、読む。
詩集に書かれた言葉より、
子どもたちの文字で書かれた言葉は、
どうして、こんなにも強く訴えかけてくるのだろう。
その後、ノートに書かれたその詩を選んだ理由を読み、またまたぐっときてしまう。
その選択には、今のその子らしさがにじみでている。
11歳の彼らの、
その愛や、その夢や、その葛藤や、そのやさしさ、その助走に、
泣きそうになる私がいる。




ああ、来年は、たくさん詩をつかった授業をしたいなあって。
十の歌、百の詩、千の言葉をもつことができたなら、
わたしたちは、暗闇続く日々にあっても、
自分自身を励ましながら、
生きていくことができるだろうか。
歌、詩、言葉たちが、
灯となってくれるだろうかと思う。



わたしの役目は、
歌を、
詩を、
言葉を、
そして語り合い、
文章を綴ることの力を信じることだと思う。
そう、信じるのは、子どもでもなく、わたし自身でもなく。



左上の親知らずさんが生えてきて、疼く。
噛み合わせにも違和感が出てくる感じ。
うずうず。
歯医者さんに行くと、様子を見ましょうって。
ああ、ごはんが噛みづらい。



息がつまりそうになったときは、
くだらない話で笑い転げたくなって、
通りすがりの少年たちに助けてもらう。
去年のクラスの子たちにも、ずいぶん助けてもらっていたことを思い出す。
ユーモアはやさしいね。

三鷹台のハクモクレン
2年前の春分の日に見かけた。
今週末も同じ場所を通る。
ハクモクレン、咲いてるかなあ。