quality


京大が舞台のニッポンのジレンマでも、誰そ彼時の話題が出てきた。
質的な時間と量的な時間。
おもしろかった。


黄昏時、と言えばマジックアワー。
思い出すのは、江國香織の小説「デューク」。


奇跡的な出来事を描く時間として、この上ない。


駐車場の変更手続きに行く。
もう、今日から止めてよいと言われ、住んでいる団地のすぐ前に移動することになった。
これまでは、少し道を歩いたところにあったので、
車を降りてから月を見たり、風を感じたり、ガラスにうつった自分の姿を見たり、金木犀の匂いを嗅いだりしながら歩いたのだった。
ああ、なんだか、寂しい。
もう、あの「余計」な、時間を過ごさないことになるんだ。
急いでいる時や、重い荷物を持っている時は、その距離にため息が出たけれど、
でも、その余計な時間は、私の生活にとっては、質的に豊かな、大切な時間だったわけだ。
ああ、その時間は、もう、失われてしまった。
私が、自分でそう決めたのだ。
これでよかったんだろうか。
本当によかったんだろうか。
変えてもいいだなんて、言わないでほしかった。
変えることもできるだなんて、言われなくてもよかったのに。
あの場所しかないと、そう思っていたら、
それは、それで、幸せだったんだ。
でも、私は変えることを望んだ。
そう決めたんだ。


演劇の稽古は、今日も「夢」「身体」「空間」がテーマだった。
私の見た、奇妙な夢の話を、思い出してみよう。
夜明けの山岳地帯を、逆向きに走る列車の夢。
インファンタの村で見た夢だった。
目覚めると泣いているということは、私もしばしばある。