かみさまへのてがみ


「その日わたしは音楽の中にいたから 
 あなたのいるところまで駆け出してゆけた」

「その日わたしは 
 その日 わたしは
 
 なくても生きていけるものに 
 生かされていた」
 
『その日わたしは』 湯川潮音

https://virginbabylonrecords.bandcamp.com/track/feat-2 


「その日」は、今日であったのかもしれません。
「その日」は、あの日でもありました。
あの朝でも、あの夜でも。
この曲をまだ知らない、あの日、あの場所、暗闇の中で、そっと手を合わせたときでも。



金木犀の匂いを、今年初めてかいだ朝。
わたしは、どんなことがあっても、今日を愛せると思いながら、出かけました。




その日。
わたしは、その日を、どのように迎えるでしょう。
「なくても生きていけるもの」が生かしてくれるでしょうか。




大切に、大切にしたものを、自分の手で壊さないといけない日が来たとしても。



映画、演劇、音楽、物語、詩、景色・・・



心細くもなるときも、
導かれていることを、信じたいのです。
最近、かみさまが、遠くなってしまっています。
手を伸ばせば、ほほえんでいるように感じられた日々もあったのに。
わたしのかみさまは、わたしが芸術的なことに没頭している姿が好きらしいのです。
そういうときにしか、あらわれてくれません。



かみさまに会いたいと思っています。
その光を浴びたいと思っています。
夢の中でもいいです。





そうそう、授業で映画の予告編をつくろうと思っています。
言語にも、映像にも、演劇にも、文法がありますね。
それらを行ったり来たりしながら学べるとおもしろいと思いませんか。
そんなことを学びたいわたしに、会いに来てください。
おしゃべりしに来てください。