切実感

午後から出勤。
熱っぽく、ふらふら、ふわふわしながら、薬を飲んでいく。
でも、学校に着いて人に会うと、ちょっとずつ快復した。


先日、センター研修での講座が終わったあと、一番に声をかけてくださった隣の市の先生が来校され、資料を渡すことに。
国語ルームで授業の話やワークシートの説明をして、学校図書館を案内する。
こうして、訪ねてきてくださることがありがたい。


今年は、研究主任がらみの仕事がたくさんある。
夏休み後半は、他校の校内研修に2校行かせていただく。
一つは、「書く」がテーマ。
もう一つは、「図書資料を活用した授業づくり」。
うちの学校で15年間積み上げてきたことを創造的に発展させながら、実践を伝えていきたいと思う。
岩瀬さんだったかなあ。
30代は、自分の学校で、同僚と実践を積み上げることが大事だって言ってらっしゃったの。
本当にそう思う。
特に今年のポジションは、そういうことが期待されているので、期待に応えられるように動きたいと思う。
神さまがわたしに与えてくださった役割でもあると感じている。
色んなところでも学ぶ。
色んなあり方を、色んな人から学ぶけれど、
わたしの中では、メソッドとか、流派とか、どうでもいい。
私が切実感を持って学び、
私という人の感覚を鋭く保っていたら、
実践は、よいものになっていくはずだ。
シュタイナーやドラマ教育や、色々学ぶが、それは、私自身の感覚、センシティビティを磨く学び。
センスや切実感がないと、どんなに勉強しても、安っぽいものにしかならない。
私が人生で向き合っている抱えている問いと、目の前のこどもに必要な問いと、
それらを十分に感じながら、どこにもないものを、つくってみたいと思う。
それは、本当にささやかな歌のようであっていい。



6月に渡辺先生と話をしていた時に、言われたのだ。
「教師が豊かな言語感覚を持っていれば、どんな授業の仕方をしたとしても、こどもは言葉の豊かさを学ぶ」と。
すとんと、納得できる説明だった。
表面的なやり方に、とらわれすぎないように。
ここ数年、随分この問題については、解消されてきた。
わたしらしくすればいい、ということ。
というか、結果的に、そうしかできないということ。




明日は、兵庫教育大学の研修講座でインプロゲームを使った研修講座を大学院時代のゼミの先生と共に。
懐かしい人たちとも再会できそうでうれしい。
インプロを、どんな学びのメタファーにできるか、問うてみる時間だ。
大学院時代、私の研究にすばらしいインスピレーションを与え続けてくださった先輩にも会える。
久々に、修士論文をひっぱりだしてきて、読む。
ああ、論文、本当に楽しかったなあ。
つらいと思ったことなど、なかった。
大学院は、本当に、本当に楽しかった。
ラクルなことがいっぱい起こって、
すべての出会いに支えられて研究ができた。
ここから、私は進めているんだろうか。
次に、研究することがあったら、「書く」ということをテーマにしたい。




週末は、東京・横浜。
ゆりさんのワークショップと、横浜での国語教育のカンファランス。
帰ってきたら、丹後に帰省して、お墓まいりをして。
その後は、フィリピン。
念願のPETA(フィリピン演劇教育協会)の研修を受けに。
帰ってきたら、研修、研修。
すぐに前期後半が始まる。
今年の夏は、こんな調子だ。


自分のことを必要としてくれている人、大事にしてくれている人との縁で、私は生かされている。
感謝しつつ、笑顔で臨みたいと思う。



こころがおちつく音楽。
このアルバムを聴いていると、仕事にむかえる。



あたまがずっとふわふわしている。
新種の偏頭痛かしら。


知的かつ精神的充足がほしい。