カーペンターズの曲を知ったのは、母の車の中だった。
カセットテープでその曲たちを聴いた時、なんてかなしい曲だと思った。
幼い私には、いくつかは、その曲調を受け入れることが難しかった。
こころの中をざわざわと不安がおしよせるようで。
心配性で、とても怖がりだったのだと思う。
誰もいない家に一人で入れず、母の帰りをずっと橋の上で待ったことがあった。
母の帰りが遅いと、何かに巻き込まれたんじゃないか、と、悪い想像ばかりして、眠れなかった。
隣で添い寝をしてくれている祖母さえ、本当の祖母だろうか?と疑い始めると、怖かった。
だから、がまくんの気持ちがすごくわかる。
久々に4冊を読み、あまりにかわいくって、滑稽で、ユーモラスで笑ってしまう。
なんてしあわせな物語なんだろう。
第三者の視点で読まれた時には。
話は戻って、カーペンターズ。
その後、私は大人になった。
ずっと聴くことが難しかったいくつかのカーペンターズの曲を、
しあわせに聴く機会も与えられた。
ちょうどそれは、映画の中で、ジョゼが一番おそろしい動物の虎をみにいったシーンのよう。
もう怖くない。
いちばんおそろしいものは、そういうふうに、いちばんすばらしい時間になりえる。
怖かったもののことを、
思い出す。
臆病だった私。
今では、笑い話みたいなこともいっぱいある。
でも、その時には切実だった。
今でも、その名残が1日のうちに突如としてあらわれる。
人が不安や心配、恐怖に打ち勝ちながら日々を生きているというだけで、本当にすごいことだと思う。
不安は現実になる。
不安というのは、人のこころが見せるものだから。
そして、その不安が現実になるように、見てしまう。
動いてしまう。
信じてしまう。
そうして不安はめでたく現実になる。
不安の自己成就。
がまくん、そういうことなのさ。
からだが熱っぽい。
この歌を聴きながら描かれたメロウさんの絵を、窓際にかざっている。
9月になったら、ライブに行こう。