33

朝から塩狩峠三浦綾子記念館へ。
入ったそばからぐしゃぐしゃに泣いて、
あーあ、という感じ。
3年前の来館ノートに、自分の書いたものを見つける。



道北バスにのり、和寒町の図書館へ。
塩狩峠の展示を観に行く。


いつも企画展で見入ってしまうのは、年表。
特に、自分の年齢の箇所。


そうか・・・。
塩狩峠の主人公の永野も、
前川正さんも、
キリストも、
33歳で亡くなっている。


魂が一度死ぬのが、
この31〜33歳の間なのだ、と、言われてきた。
私はこの夏の終わりで33歳になる。
いろんな人の人生に重ねながら、どういうふうに生きればいいか、考える。

夏の終わりに歳を重ねるというのは、
夏休みに、大きな宿題を出されている気分だ。
高校生、大学生の頃は、特にそう感じていた。
何かしないといけない、成し遂げないといけない。
そんなプレッシャーを自分で自分に課す。
それが、夏という季節だった。
今、旅に出てしまうのも、そういう自分の長年の習性みたいなものだと思う。



和寒の図書館内でも、展示を見たり、本を読んだりしながら、またぐしゃぐしゃに泣く。
しかし、頭に靄がかかったような感じが続いている。
泣けばすっきりする、という類のものではないらしい。
午後からは雷雨。
線路が冠水。不通になる。
この旅は、ずっと雨模様。
そういえば、出てくるときも、私のまわりだけ、局地的豪雨だった。


雲間から射しこむ光。



小さな頃から、25歳くらいまで、毎晩おいのりをして眠りについた。
おいのりといっても、正式なものではなく、
毎日出かけるときに仏さまに唱えていた短いお経をふとんの中で手を合わせながら唱えて、
それから、6つのことを祈る。
それが、夜という闇の世界をのりきるため、心配性だった私が編み出した儀式だった。


いつからか、そうしなくなったのは、どうしてだったか、思い出せない。