clear sky


リフレクションというのは、せまられるものだと思う。
それも、思いがけず。
自分自身にせまってくるものだ。
考えないでおこうと思っても、せまってくるので、逃れられない。




タテさんの歌声が響き、それとともに繰り広げられるメロウさんの即興ペインティングの空間にいることは、
いつも強烈な内省をせまられる。




普段はしまってある、過去の記憶がだらだらと流れ出したり、
色んな人の顔が浮かんだり、
自分自身の醜さとかかよわさとか汚さとか尊さとか、
そういうものが、あふれだしてくる。




教室に入る瞬間の私の姿を、いつもどこかで見ている私がいる。
おはよう、と大きな声で朗らかに言えない、
こどもを直視できない、わたしのこととか。
今は、にこやかに笑えることとか。
言葉にも、リフレクションにも上がってこないような日常のワンシーン。
風に揺れるカーテンがふっとつくる影のような。
気に留められることのないシーンが降りてくる。







『雨は五月に降る時を待つ』を聴くことができた。
この曲を五月に、そして、この美しい場所で聴くことができて、なんだろう、もう、この1年の音楽運を使い果たしたかもしれない。




外はよく晴れていて、晴れた日に聴く雨の歌ほど悲しく、それは私のこころが正常に機能しているということだと思う。




晴れた日に雨を歌う歌い手を、私は好きだと思う。

eastern youthの吉野さんと、
4音で曲をつくろうということになり、
井の頭公園でつくっていると、
雨が降ってきて、
濡れない場所に移動したのだというエピソードは、
ずっと忘れないだろう。
ド、ファ、ソ、ラ。
4音の組み合わせで、こんなに美しい歌ができる。
生きていく希望があると思う。


かつて。
小学生の頃のわたしの心配は、こんなにたくさん歌があったら、いつか、同じようなメロディーしか生まれなくなって、
新しい歌などできなくなるんじゃないだろうか、ということだった。
いくつか作曲してみても、どこかで聴いたことのある曲になってばかりで、不安だった。
音楽の世界には進めないな、と思った。




描かれた彼岸花のような花を見て、とても不安だったこどもの頃の思い出が蘇った。
今日ここにこなければ、思い出すこともなかっただろう。
それくらい、引き出しの奥深くの記憶。



世界は、ずっと豊かで。
希望があるよ、と。
心配しなくていい、と。
あの頃のわたしに言ってあげたい。
とにかく、色んなことが不安だった。
心配性。
今でも、心配性のかけらは残っているけど。



今日のセットリストは、アルバム『ヒト』の中の曲もいくつかあって、大好きだけどライブで聴いたことのない曲が聴けたことも嬉しかった。


『新世界』、『この街と生きてゆく』・・・とてもよかった。


戦前に建てられたという洋裁学校の佇まいがまた素晴らしく、
ペパーミントグリーンの色は、サツキとメイの家みたいで、
とてもとても幸せな気持ちになる。



降りていく、下っていく、戻っていく、という言葉が似つかわしいような。
私は、昔のものが好きで、どこかいつも過去を生きている。









メロウさんの絵。
『すばらしい日々』に合わせて描かれた一枚。
あっという間に売れた絵の中で、いくつか残っていたうちの一枚だけれど、わたしはこれが気に入った。
お家に飾ろう。



横顔、というモチーフが好き。
高校生の頃から、しょっちゅう横顔をかいた。