I have a dream.

泣きながらスピーチをするA。
自己開示を、選んでする、ということ。
授業参観という場所で。


「私の家は、人とは違う。そんな私が夢を持つなんて、無理だと思っていた。」


歌手になりたい、という夢と、自分の過去を話す彼女を見ながら、私は、その光景を見たいと思うわたしがいることを知る。
そう語る彼女の勇気と、でも、そんなことを語らせていいのだろうか、という戸惑いと、
でも、その語りを聞きたがる自分と。


先日の会で、自分のこだわりによって、同じ状況でもキャッチする情報が異なる、という話を上條さんがされていた。

わたしは、そういう光景を、見たいのだ、と思う。
泣きながら話す、自分の過去を語る、自己開示する、そういう光景を見たいのだと思う。
危険になりうるとも知りながら。
もちろん、彼女がその話題を選んだのだけれども、その話題を選んだことを、わたしは、内心喜んでいたのだと思う。



なぜ?
なんだか、わたしは自分がひどく冷淡な人間のようにも思えた。
なぜ、そういう話を聞きたがるのだろう。



それは、家庭の複雑さを自分の言葉で語り直し、昇華させることが、小学生の時からのわたしの重大なテーマであり続けるから、だろうか。



家庭が複雑な子たちのスピーチは、何か叫びと受容、そして、ぬかるみを超えたいという意志が言葉や涙となって聞き手の心を打つ。


彼らが、それを語ることを、選んだ、ということ。



私も、心の奥底で、それを聞くことを望んでいたのだろうということ。




望む私は、何者だろうか。



最後の授業参観。