回復

2月11日。
いろんなことを思い出す。
水のように時は流れたことを、実感する日でもあった。


やっと、ゆっくりと、人前に立つことの苦痛・逃避から、回復してきたと思う。
なんていうか、わりとゆったりしていられる。
2年間くらい、本当にだめだった。
ああ、人って、回復するんだなって思う。
今のクラスのこどもたちに救ってもらった部分もあるなと思う。
ドラマにも、アートワークにも、音楽にも、人にも、救われながら、
知らないあいだに、少しずつ回復したんだなあ。
ありがとう。



グラスルーツ体感会。
終了後に、事業部のスタッフと会話しながら、
ワークショップ中にホワイトボードに記録をし始めたのも、
とにかく、病んでたからだったということに思い至る。
2007年からずっと続けてきたインプロのワークショップ。
そう、ある時から、私は、ワークの中心にいられなくなった。
その輪の中から出たかった。
デモンストレーションも拒むようになり・・・。
写真記録や、議事録をとることが、ワークショップの中心から少し外に出て、ワークを眺めながら、なおかつ、その場に強く関与できる役割だったからだ。
その役割を見つけたから、私はそこにいられた。
そういうふうに、いろんな役割や立場やあり方でもって、「参加」ができるということが、どれほど大切なことなのか、自分自身の状態でもって実感するプロセスであったのだと、やっと、やっと、今日言語化できる。
カメラも、ホワイトボードも、受付も、必要だった。
誰かのためではなく、私が「参加」するために。




今日は、グラスルーツ設立の2013年2月から数えて、4回目の体感会。
今日は、2つのアクティビティを進行。
他にもいろいろ、突然振られた役割とか。

突然仕事を振られるのは、好き。
丁寧に依頼される方が構えてしまうし、「できない」って思ってしまうから、臆病になる。
自分で自分のハードルを上げてしまいがちだけど、行き当たりばったりは、自分で自分のハードルを下げて、「いっそ楽しもう」というふうに思わせてもらえる。ついつい、うまくやらなきゃって、思ってしまうのよね。



覚えている。
飛べなくなった、と、自覚した頃のこと。
魔女の宅急便のキキみたいに。


その頃は、どんな音楽を聴いていただろう。
思い出せない。
情熱というのは、こういうふうに失われるのだ、と思った。
もう、どこからもしぼり出せない、からっぽの感じ。
確かにあったのに、その熱の感覚さえも、むなしい。
中学生の頃から、一番恐ろしいことは、感じなくなることだった。
この世に生きる意味が、なくなってしまう気がするから。
その意味では、小さく、一度、死んだのだと思う。


そうして、やっと、ゆっくりと、回復してきている。
33歳で魂の死を迎えるとは、本当に、よく言ったものね。
そして、甦るんだね、人は、ちゃんと。

「sight」。『リリィ・シュシュのすべて』より。
大学生の時、狭い女子寮の部屋で友人と一緒に観た。
二人で、すごーく暗い気分になった。
サウンド・トラックは好きで、このsightは、創作ダンスの作品でも使った。
こういう、流れるようなピアノを、ずっと、ずっと聴いていたい、そういう頃もあった。
蠢いている、でも、前に進めないような時の音楽。


『回復する傷』
ああ、この曲もあったんだった。
きれい。