手放しのレッスン

春。握りしめていたものを、
手放すことが難しかった彼。


最近、すっと手放せるようになったね。
きっと、少し、生きやすくなった。


ボールを、遠くに、遠くに投げるように、
紙飛行機を飛ばすように、
綿毛をふわりと落とすように、
ひらひらと紙が舞うように。


君は、手放しのレッスンを繰り返していたんだね。
君が生み出す数々の遊びや工作は、
君に必要なレッスンだったんだね。


軽やかさを増した君を見ながら考える。
それなら、私に必要なのは、どんなレッスンだろうと。
それは、ボールを遠くに飛ばすことでも、
紙飛行機を空に飛ばすことでも、
綿毛をふわり、落とすことでも、
ひらひらと紙を舞わせることでもなく。


君が手放した棒切れを片手に持ちながら、考える。






社会科。戦時下の暮らしの学習に合わせて「火垂るの墓」のシーンを使おうと思い、TSUTAYAヘ。
帰宅してから野坂さんが亡くなられたニュースを知る。
明日、この作品を使う必然。
いくつもの迷いや選択肢を、偶然や歴史が「これだよ」と決定していく。
その決定に後押しされる。
わたしと、こどもと、学習内容と、学校をめぐる状況と、現代社会と、今日という日と、過去と未来と。



社会科で、12歳の彼らと歴史を学ぶということ。
一方、国語では卒業随筆で自分の歴史を語るということ。
どんなふうにつなげていけるのだろう。


ひとつひとつ、立ち止まらずには進めない。
毎日、学校を出るのは最後になってしまう。
子どもにも指摘されるマイペース。
仕事術とは無縁の仕事のできなさ・・・。



『伝える花』
二階堂和美
来年は、ニカさんにも会いにいけるといいな。