朝、こころみ会のレポートをアップし、
8月になってから教育当番の日の1回しか出勤していなかった学校へ。
もうすぐ始まるので、からだをならしにいく。
ウォームアップとも違い、なんだろう、なじませにいく。
夜は、崩壊しきっている部屋の片付けをしなきゃ、と思う。
でも、その前に、明日観に行くレミゼのチケットを探す。
ところが、探せど、探せど、チケットが見つからない。
どこに入れたっけ。
友人の分も購入しているので、見つからなければ、それこそミゼラブル。
ひっくり返っている部屋を、さらにひっかき回して、もうやだなーと思いながら探す。
見つかるまで寝られないな・・・と思っていたら、
研修のファイルから出てきた。
よかったね。
ひとつの企画を終えて・・・
とにかく、ぐちゃぐちゃと悩んだ。
吐き出すまでの、試行錯誤と不安の入り混じる混沌の時間。
悩み、ひとつひとつ決定し、でも、決定しきれずに、揺れる時間。
最後の曖昧な部分は、場に委ねる、場の神に委ねる。
当日、その空間に身を置いたら、みんなが助けてくれてありがたい。
それでも、やはり、いつも不安がつきまとう。
ああ、私は、ずっと大きな不安と戦っていくしかないのだろうな、と思う。
不安というのは、自分が作り出してしまうものなので、本当にどうしようもない。
誰かに後押ししてほしくて、相談をしたり、学びに出かけたり、
でも、結局、自分で決めるしかないことがいっぱいなわけで。
ふと、中3の時の担任の池辺先生がしてくれた話を思い出す。
3月。公立高校受験の前日。
「すばらしい32」という学級通信に、あるオペラ歌手のエピソードが書かれていた。
すばらしいテノール歌手であるのに、本番前は不安で不安で、
自分が舞台で歌って、観客ががっかりする・・・という悪い想像にとらわれ、
舞台に出ることを拒むその歌手を、舞台袖で押し出す人たち。
ひとたび舞台に押し出されると、すばらしい歌声を聴かせ、観客のこころをつかむ。
それでも、また舞台袖に引っ込むと、自分はだめだ・・・と言い出し、
また、舞台袖の方たちが、一生懸命押し出す・・・そんなエピソードが載っていた。
世界的に有名なオペラ歌手でも、そんなふうに不安と戦うのだよって。
受験前日のわたしたちに話す話として、なんて素晴らしいものだったろう。
先生が話したその表情や、教室の風景までこころに残っている。
そして、こんなふうに、思い出しもする。
不安。
野島伸司は、『世紀末の詩』の中で、「不安という一滴の濁り水」という表現を使った。
そう、濁り水。
不透明に、行く先を見えにくくし、
ないものをあるかのように見せてしまう。
あるものをないかのように見せてしまう。
その不安を消し去るものは、なんだろうか。
やっぱり、自分への信頼なのかなあ。
逃げることではないというのは、わかっている。
逃げても、また別の世界で不安は押し寄せてくるから。
でも、戦い方がわからない。
連れ添っていくしかないのかな。
理解すればいいのかな。
私にとって、一番厄介な感情。
飼い慣らせないままの。
タテタカコ & element of the moment & 足田メロウ の「十一月」
今日は、2015秋のプレイリストを作り始めた。
ひとつひとつの季節を生きぬくため・・・ううん、そんなに強くない、
やり過ごすための音楽。
“音楽を聴くためには 自分の人生がいる” 江國香織
それは、演劇で役を演じるため、とも言えるね。
花巻で宮澤賢治の詩集を買った。
編者の方のあとがきに、声に出して読んでみてください、と書いてあり、
声に出して読んでみると、
もう、泣けてくる。
歌も、聴いているだけだと平気でも、
歌い出すと、声がつまりそうになることもあるように。
きっと、同化してしまうのね。
使う感覚も、全然違うんだね。
とりとめもなく、いろんなことを考え続け、
夏と秋の間を移動する。
夏休み明けの自分への手紙を、子どもたちには書いてもらった。
私もまた、春から夏にかけて使ったノートに自分への手紙を書いた。
夏休みが終わる。
読んで、返事を書かなきゃね。
そして・・・
彼女へのお祝いの手紙を書かないと。
そこまでが、私の夏。
いつか、不安とうまく、付き合えるようになりますように。