名付けられた名を書き換える時 

一年という月日。
京田辺シュタイナー学校・夏期講座「大人が体験できるシュタイナー学校」へ。



同じ季節に同じ場所を訪れることで、
変わったことと変わらないことを確かめることができる。
あるいは、それらに向き合わずにはいられない。



「教育は癒しでありたい」という、昨年夏に聞いた言葉が、
以前に増して、強く私に響く。
今日という日。
シュタイナー学校の空間にいるだけで、先生たちの声を聞き、柔らかで慈愛に満ちた笑顔を見るだけで
わたしは、何か大きな間違いをしていることを瞬間的に知らされ、
同時にすごくピュアに変わりたいという気持ちにさせられる。
何か自分という存在よりずっと大きなものに包み込まれ、力がふっと抜ける感じ。
本当に純粋にゆるされる感じ。
自分の中から再生のエネルギーが満ちてくる感じ。
本当に不思議なことが起こる。





昨年この空間でいただいた光は、ちゃんと1年間灯っていた。
灯してもらった光でもあるけれど、自分で大切にしたい光だったのだろう。
この光が灯っている間は、信じて歩こうと思う。
「人は、信じたものにしか守られ得ない」と、江國さんは言う。
それは、絶望的に真実だ。




4年生。
テーマは動物学。
今日は象を描いた。
動物は、人間の体のある部分を強調したような体をしていると。
ひとつひとつのお話がとてもおもしろい。


粘土では球を、そして卵をつくった。
それからメイポールダンス。


4年生の成長課題として掲げられるテーマのひとつ。
クロス、結び目をつくること。
自分の足でしっかり立てると、クロスを描くことができるようになるそうだ。
フォルメンに描かれる複雑な結び目は強く美しく。




結節点を見つけたい今の私には、また、どんなにぴったりのテーマだろう。
オイリュトミーでも、クロスの振り付け。
手と手を重ね、きりりと閉じ、開く。
動きの中でしなやかに立ち上がっていくこころがある。




今日は、講座を受けながら、クラスのある子のことを考えていた。
夢を見つけたいと願う彼。
「それさえ見つかれば、がんばれると思うんですよね。」と、お母さんはいつも語られる。





自分の名前を探す旅に出る物語がいくつかはっきと浮かんでくる。





自分に名付けられた名前がしっくりこなくなってきたならば、
その時は、新しい名前を探さないといけない。






私も、ずっと自分の名前を好きになれなかった。
母は、何度となく、私に本当はつけたかった名前をつぶやいた。
その名前をつけられていたならば、私はどんな人生を歩んでいただろう。
そう思わずにはいられなかった。



母は自分の名前の漢字を変え、私たちにも苗字の表記を変えるように言った。
名前を変え、自分の人生を生き直そうとする母の姿は、必死でありながら明るく前向きで、私は彼女の新しい名前を祝福した。
そういうふうに生き直せるのだということをぼんやりと学びながら。



今朝の夢には、「なまえをみてちょうだい」というファンタジー作品が出てきた。
名前を通して描かれる自己の喪失と獲得。
西巻茅子さんの絵が目覚める前の残像で残り・・・。
1日の始まり、夏休みの始まり、この夏のテーマ、その象徴のような夢。


西巻さんの絵はとても好き。
小さい頃、「わたしのワンピース」の絵本がお気に入りだった。
今でも、すてきな柄のワンピースは気分が踊る。
ファンタジックでハッピーな物語にぴったりの絵。



What's your name?
Who am I ?
この問いは、決して、ティーンエイージャーだけのものではない。
生涯にわたる問いなのだと。