水泳最終日。
水泳指導は、ダンスと似ていると思う。
手の軌道、体の軌道が描けるように、ほんのすこし手を差し出し、感覚がつかめるようにサポートする。
その子の軌道のほんの少し先の水面に点を打っていく感じ。そこをなぞれば泳げるように。
あと、感覚的な言葉を、歌うように、リズミカルに言う。
その子の動きに効果音をつける感じ。
それから、「できるよ」って、励ます。
少し未来の実況中継をする感じ。
水泳指導は好き。
泳げた時の、うれしい顔。
「なんか、世界が変わる」って。
私も泳ぐのが苦手だったから、わかる。
最終日の今日はいっぱいハイタッチできた。
「ああ、小学校生活最後の水泳が終わった・・・」って。
本当だね。
水泳日和の今日だった。
もう、なんだか、いろんなもの、怖くないなってふと思った日。
私という存在よりずっと大きなものに触れたり、世界を感じたりすると、自分自身のどうでもよさを捧げたくなる。
今日は朝からCocco。
景色の浮かぶ歌。
Coccoの歌がつくり出す景色は、聴き始めた中学生の時から変わらない。
この景色は、どこだろう。
存在しない場所、でも、確かにわたしの中にある場所。
わたしは、Coccoの歌を聴いて、その場所に帰るのだ。
そこは、夢の中のように、わたしの瞳の奥にだけ存在する。わたしは視覚の人、だと思う。
Cocco。
圧倒的な個人の世界と、果てしないLove and Peaceの世界、どちらもを歌いきれる人。
『ジュゴンの見える丘』
「悲しみはいらない
やさしい歌だけでいい
あなたに降り注ぐ全てが
正しい やさしいになれ」(Cocco)