すいせんの星空

9歳の人たちと過ごす最後の日。

今回は、お別れに歌を歌おう、と思っていた。
音楽座ミュージカル「星の王子さま」より、『輝く星』。

時々、口ずさむ曲。
歌詞をちゃんと覚えている曲。
気持ちよく声が出せる曲。
そして、お別れにぴったりの曲。

「さよならなんかじゃない。
 かなしいことじゃないのさ。
 出会えたことがすべてさ。
 さびしいときは、空を見上げて。」

歌を歌うと、一人の笑顔のすてきな女の子が泣いた。
歌っていると、一人ひとりの表情が、話をする時より、よく見えた。
どうしてだろうか。

放課後、毎朝「せんせい、おはようっ」って、すてきな挨拶をくれた女の子が、すいせんを届けにきてくれた。
そういえば、少し前に、「せんせいの好きな花は?」っていう話をしたね。
その時、わたしは、「すいせん」って言ったんだ。

ありがとう。うれしいな。

子どもの頃、家の前の川べりに咲いていたすいせん。
すいせんが咲けば、春だった。
白と黄色と緑色。

見事な桜もいいけれど、
わたしは、家の前に咲いていた、
あのすいせんが見たくなる。
春になったら。



今日は、掃除の時間に、ガラス瓶が割れた。
壊れやすいものは、日常の中にある、普通のものだと思う。
本当に普通の、どこにでもあるもの。
それが、何かの拍子に音を立てて形を失う時、誰も、何もできない。

ちょうど、いい天気の朝、おだやかな食卓で、お醤油をとろうとした手をあやまって瓶が倒れてしまい、薄い黄色のテーブルクロスに、消えない染みが広がっていく感じ。そんな、些細な、日常のほころび。

そこで、すぐに瓶を直せる人もいれば、
食卓をひっくり返してしまう人もいる。
それさえも、その人の資質ではなく、天気や気分やその日1日のスケジュールといった、日常だと思う。


日常。

今日も最後は、彼らと手を触れ合ってさようならした。
ハイタッチとも違う。
握手とも違う。
わたしと、彼らのやり方だった。

そういう名前さえない個別の関わりが、
出会ったということだと、
時間を過ごしたということだと、
その人を思ったということだと、
そうであるはずだと、
終わりゆく日常を振り返る。