流れ去った10年の月日

Yuka-QP2015-03-22

22歳になった1年。2005年は、はっきりと自由を手にいれた1年で、今でも、それは鮮やかな記憶だ。
からだの自由とことばの自由元年とでも言っておこう。

あの1年は、それまでのすべてが、あみあげられていくような、そんな1年だった。
あの1年で感じたことや、あの1年に出会った人や音楽、ダンス、あの1年で経験したことが、その後の10年につながっていった。そういう結節点としての1年だったと、今思える。

節目、というのが、あるわけで、それがはっきりとみえるのは、もちろん回顧することによるものでありながら、その時々でも、視界がはっきりと開けるような明るさと広さと生きることへの前向きな信頼感と期待が、じんわりと押し寄せてくるような感覚に満ちたことを覚えている。

それは、東京の三鷹台にある彼女の家に通った夏でもあった。
昨夜あった彼女は、ここに住み始めて10年になると語ってくれた。

夏の井の頭公園。朝と夜の散歩。
あれから10年なのだね。

あの夏。
千歳烏山日本女子体育大学でのダンスワークショップに行き、即興で踊り、
世田谷でコンテンポラリーダンスを観た。
踊ることを、自分のからだを、自分の意思と意思をこえる形で動かせるようになった時、
やっと自由になった気がした。

留学を終えて語学の面でも自由になったわたしは、少しばかり人見知りでもなくなっていた。

先日も、10年ぶりに懐かしい友人と再会。
異国の地で出会ったわたしたちは、かわらないままに、少し大人になっていた、と思う。
この友人との出会いも、わたしの自由に、小さくはない影響を与えた。
7年後に会う約束をして、気づけば、10年たっていた。


このブログも、前のブログとあわせて、10年書いた。
2005年、アメリカで出会った友人たちが、留学日記を書いていたことが、心底うらやましく、帰国してすぐに始めた。
きっと、2005年の記憶が香しいのも鮮明なのも、
こうしてブログに感じたことを書き始めたこともあるのだろうと思う。

誰かのために、と思った時、わたしは、うまく言葉を話せなくなった。
自分のために語ることしか、できない。
誰かに届けるためでさえない。
それは、少しばかり絶望的だけれど、
探り当てた、信じられる感覚。


東京に行くと、いつも夏のことが蘇ってくる。
夏の記憶を塗り替えることは簡単じゃない。

未来のことをたくさん考える時もあれば、
昔のことをやたら思い出す時もあるし、
今のことを夢中で考える時もある。


そうすること、そうしてしまうことに、何らかの意味というか、役割があるはずなんだろう。


春の千葉、春の東京。
ここからの10年のことを、10年後のわたしは、どんなふうに思い出すだろうか。思い出さないかもしれない。
青空とあたたかい春風を感じながら、ハクモクレンがきれいに咲いた道をよこぎったこと、
岡崎京子展に行き、その言葉に自分を重ね、揺さぶられながら観たこと。




やりたいことしか、やりたくない。
一生懸命じゃなく、夢中にやりたい。
そんなことを、バカみたいに純粋に思ったことを。
自分に備わった、健やかな自浄作用にあきれながら感謝したことを。