春の風

3日ほど家を空け、帰ってきてドアを開けると、たくさんの不在票が散らばっている。
不在、不在、不在、不在。


東京は虎ノ門。2日間のワークショップ。米国でPPMのPeterとNYで校長をつとめたMarkさんらが開発した、いじめ問題に取り組むトレーニングセッション。
歌と感情を扱いながらのすばらしい二日間。
途中PeterとSkypeで話す場面もあり、湧いた。Puff, the magic dragon も500マイルも、Blowin' in the wind も大好き。

マークによるワークの中で、昨日は自分の所属先を4つ選んでモールでスカルプチャーをつくった。
ペアで対話した子の話や形に、じんわりと感動した。
こういうワーク、好き。
すごくパーソナルでセラピューティックな。
語り出したくなるもの。
ただ、隣の席だったその子が、ずっと近くて、忘れがたい人になる。

最後は、「パワー・シャッフル」というアクティビティをしながら
傷つく、ということについて、考えた。
子どもをワークで傷つける、ということについて。
教室におけるアート実践が直面せずにはいられない問題。

でも、わたしたちは、傷つかずにはいられない。
体育の授業で傷つく子もいれば、給食で傷つく子もいれば、詩で傷つく子もいる。
笑顔に傷つく子だっているだろう。
答えの出せない、大きな宿題。

2日間、たくさんのセンシティブな人たちとの対話を通して、わたしはどうやら、人が傷つくことでそこまで傷つかない、ということも分かった。それは、私自身の欠落によるものでもあるし、かさぶたで痛みを感じなくなった部分でもあると思う。

車に酔いやすく、乗り物がきらいだった。
バスや、親の車の匂いがダメだった。
でも、乗らないといけないし、いやがっていることを知られたくない、知られたらその人を傷つける、と思った。
そこで、私は、車に入ったら、鼻呼吸をやめる、という技術を身につけた。
感じなくする。それだけでよかった。
このやり方は、説明できないけど、画期的だと思う。
変な習慣は、大人になっても残ってしまった。


誰も傷つけたくないけど、生きていれば、それは不可避だという現実。
傷つきたくないけれど、心とかたちを持っている限り、やっぱり避けられないという運命。

そして、この現実、運命のために対話やアートがあり、力になりうるということ。

最終日は東京都庭園美術館


青空に映える桜と同じくらい、道に落ちる影がきれいだった。

暖かい1日だった。


昨年夏から聴き続けている「春の風」。
花冷えの日の方が似合うね。
でも、やっと春に聴ける。

もうすぐ出発の日なのに、全然気持ちが追いついていかない。
今年度と来年度の間の深いくぼみに落ち込んで。
本もたくさん買ったけど、開くことができない。

つばきちゃん。