かけらの日

2月最後の日。

春を感じさせる青空。
窓から窓へ、風が吹き抜けていく。

2冊の本を読み終わる。
1冊は、小学校3年生の頃読んだ物語。
読書感想文に選んだもの。
その時に感じたことなどを、ぼんやりと思い出しながら。
ううん、ファンタジーの定型だなあ。

朝、声が出ないことに気づいた。また、声帯をやられたらしい。
午後、19の頃から使っていた星の王子さまカップが欠けてしまった。
夜、トレンチコートの第二ボタンが欠けていることに気づいた。

すべてにおいて言えることは、私が丁寧さに欠ける、ということ。
乱暴に扱いすぎなんだ。いろんなものを。
壊れるって、思うのに、やめられない。
承知で、欠ける事実に立ち会ってしまう。

それは、ガス欠するってわかりながら、ガソリンを入れられず、田園の真ん中で車が停まってしまった、
あの29の誕生日の感覚。暑い夏の日、ああ、こうなるんだなって、実感しながら、ガソリンスタンドにヘルプの電話をかけた。
本当にバカみたいで、でも、不思議に軽やかだった。打算的には生きられない。

映画の中の、日常が、音を立てて崩れてしまう、その繊細な感覚が描かれた部分に心うたれる。
ほんの一瞬で、崩れてしまうものが、世の中には、たくさん眠っているのだろう。

そうだとしたら、その崩れやすいバランスを、なんとか保てるようにしているものは何だろう。

ボタンがとれたり、
リボンがとれたり、
2月は、とにかく、そんな感じの、月だったな、と思う。

季節性鬱、という言葉を一昨年の終わりに聞いた。

季節性、というのは、いい言葉だと思う。

季節のせいにしてしまうと、わりと、なんでもうまくいく。
天気のせいにしてしまうのでも、いいのだと思う。

今日は、愛犬・カイくんの誕生日だった。
君と別れて6年。
今日も、空がきれいだよ。