「訳」と「役」の違いを尋ねられた日。
通勤途中にふと思ったこと。
台本に書かれないが、与えられる役を見つけ、生きることがうまい人、というのがいると思う。
私も、そうだったかもしれない。
役は、与えられもする。
役は、自分でつくることもある。
役は、互いにつくりあうものでもある。
役は、埋め込まれていることもある。
そして、生きられなかった役、というのもある。
総合で、「ぼく/わたし」絵本づくり。
「先生、題名、《ぼく》か《じぶん》にしてもいい?」と、あるユニークな少女。
そういうふうにさらっと聞けるかろやかさがうらやましい。
わたしが子どもの頃は、そんなこと聞けなかった。
ボーイッシュな女の子にすっごく憧れていたけど、
そんなふうには聞けなかった。
じぶんのこと、じぶんの好きなものを見つめ直して、絵本にしていくんだけど、
そうして題名にこだわること、そのことが、自分を問い、表現し、答えていくことであることを、思い知らされる。
可視化されていない選択を選び取れる、その自由。
わたしを生きる自由さ、生きられる幸せをずっと持っていてほしい。
校内のラストの研究授業の事前検討会。
ああ、なるほど、ということがいくつも。
ワークシートのデザイン、授業のカリキュラムデザイン、詩の評・・・
すばらしい詩がたくさん生まれていた。そこにいたるしかけが見事だった。
授業研は楽しい。
学級は、終わりに向かっている。
毎日、混沌といろんなことが起こっていて、私は目を覆いたくなるような感じもあるのだけれど、
彼らは、楽しいのだという。私には、それがあまりよく理解できていないと思う。また、今年も、子どもたちに追いつけていない。
昨日。週明けの月曜日。土日のことをどうしても話したいという子がいっぱい。なにやら、ある地域の子ども会で、サーカスを観に行ってきたらしい。
サーカス!サーカス!!サーカス!!!
いつもはあまり話さないあの子が、目をくりっくりさせて、熱弁する。ずっと、ずっとその話。
よほど感動したらしい。興奮が伝わってくる。
今日の絵本づくりのワークシートの「住みたい家」の欄にも、その子は、「サーカス」って書いていた。
からだがやわらか〜いその子、うん、サーカスに入れるねって言ったら笑ってた。
でも、椅子で曲芸するのは勘弁してほしい。
数日、ずっと聴いているアルバムから。
「私だけに」(ミュージカル『エリザベート』)が、強く、強く響いてくる。
孤高に、気高く、自分を世界の中に存在させていく、自分の人生を、自分の手の中に手繰り寄せて生きて行く歌に、心動かされる。ああ、この感じを知っている…思春期特有のプライドの高さ、が自然と思い出される。
「たとえ 王家に嫁いだ身でも 生命だけは預けはしない
私が生命委ねる それは 私だけに」(MICHAEL KUNZE/SYLVESTER LEVAY)
生きるということは、受け身ではない。
一秒、一秒、そのことを考える。