NPO法人グラスルーツの理事会でメンバー全員が講師になり、20分程の枠で「何か」をすることになった。
うーん。役立つワークをする、というのは違う…ということで、「学習者としての履歴を語る -即興を学ぶ私は誰か-」というタイトルで即興と私の10年を話してみることに決める。
昨日、緑ちゃんとも話していたことだけれど、「自分のやろうしていること」や「自分は誰か」っていうことを、丁寧に話そうとすることが、年々億劫になっている気がする。
実践や取り組み自体をなんだか耳馴染みのよい言葉で話しても、なかなか伝わらないことがいっぱいあって、自分のことを、ちゃんと丁寧に話さないといけないのだろうな、面倒くさがらずに…と思うこともあり。で、この内容。
今、いくつかの企画を創ろうとしている。
その時には、やっぱり、自分が今、何に関心があって、何を葛藤していて、何を必要としていそうで、何とは距離を置きたいと思っているか…そういうことを知っている言葉や使いたい言葉や耳馴染みのよい言葉…でかたどって、ううん、違う、しっくりこないと言いながら、自分の感情や状態を一番表す、ぐっとくる言葉を探し当てていく作業をずっとしている。自分が学びたい企画でないといけないし。ショーン・キンリーが言っていた。いいワークショップっていうのは、講師も学習者にも、双方に学びがあるんだって。
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今日は、社会の時間に絵本を一冊。去年の6年生にも読んだっけ。
- 作者: レイフクリスチャンソン,ディックステンベリ,二文字理明
- 出版社/メーカー: 岩崎書店
- 発売日: 1996/01/10
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読んでいくと、1ページ読むごとに、「さいてー」「さいてー」と、あまりに子どもたちが言い出すので、「じゃあ、何がさいてーだと思うか、近くの人とおしゃべりしてみよっか」と。
なかなか鋭い意見を言う人たち。
最後の写真を見た後、「この写真と、前半の物語のあいだに、どんな関係があるのだろう」と問い、またそこでしゃべる。
今日という日だからこそ、ということも語られる。
「みんなは、本当にすごいね」
私は、この9歳の人たちを尊敬してるし、彼らは私たちの誰もが知らない方法で、平和な未来を創っていってほしいと思う。
ひとつ、小さな後悔。
あの子の切実さを、私は、大人な理解と軽々しさで、なぐさめてしまった、と思う。
寛容さといい加減さは、紙一重で、私は、教室ですごく、いい加減だと思う。
私が子どもだったら、あのなぐさめで、もっと狭い孤独に追いやられただろう。
それは、多数の何も考えていない人たちを救うことにもならないし、切実な孤独の中で生きるあの子の手をとることにもならなかった。
でも、あの瞬間では、わからなかった。明るい教室で、前に、前に進もうとしていて。
夜になると、色んな後悔が押し寄せてくる。
明日は、もう一度、あの子の切実さに向き合おうと思う。
美しい響きの名前を持つあの子は、今日もやっぱり、私を短く叱る。
先日の参観の感想をひとつ。
学習者の履歴を大切にする姿は、とても好ましかった。でも、学習者の履歴は、もっと個別で、一定ではなく、とぎれとぎれで、未整理だったという点は想定外で、そこがおもしろかった。