こえがきこえる

 私の顔を見るなり、「わかめちゃんや〜」って。
「それ、誰?」
「知らんの?さざえさんやん。」
「ああ、そのわかめちゃんね。」

 その子は、ずっと、ずっとしゃべり続ける。

 説明文の小見出しをつける作業で白熱し、
 算数の時間の司会で、教師のように話し合いをまわし、
 休み時間には、ケンカのメディエーターをして、
 理科の実験で不思議を語り、
 けらけら笑い、歌を歌い、
 「ぼく、疑問やねんけど」と、議論の口火を切り、
 「先生、怒り過ぎやで。頭から湯気出てるで。」と私をたしなめ、

 ずっと、ずっとしゃべり続ける。そして、動き続ける。

 「ぼく、ずっと動いてたいねん。」

 ちゃんと、自分が動きながら、しゃべりながら、考える人だと、わかっているのが賢い。

 彼が休んだ時は、びっくりした。子どもたちも、わたしと同じことを言った。

 「ああ、○○くんの声が聴こえる」

 必ず、わたしが喋るとその子が合いの手を入れるので、その子がいないのに、その子の声が響くように聴こえるのだ。不思議な心地だった。

 明日は「ダンスで理科」の授業1回目。
 未知との遭遇です。私にも、彼らにとっても。

 磁石さんとの出会いで、彼らはどんなふうにひかれ合うのか。
 そこに生まれる感情や、学びの萌芽に、立ち会えることが幸せ。

 明日、わたしたちは、磁石とゼムクリップになり、ギリギリの距離を浮遊する。
 「誰か」を生きる時、「自分」、「自分のできること」、「自分への了解」から、ほんの少し自由になる。
 
 まあ、彼らはもともと、すっごく自由な人たちだと思うけど。