夜、仕事を終え、京田辺シュタイナー学校へ『クリスマス生誕劇』を観に。
シュタイナー学校の教員による、生誕劇。
冒頭から、先生たちの穏やかで慈愛に満ちた笑顔に打ちのめされる。
ベツレヘムの星空が、羊飼いの目の先に果てしなく浮かぶ、すばらしい演劇だった。
こんな寒い冬の日の夜、暗闇が深く、寒さが厳しい夜。
それがクリスマスだったのだと。
子どもの頃読んだ、『へいしのなみだ』というお話をぼんやりと思い出しながら、自分にとってのクリスマスの思い出がぼんやりとよみがえる。
会場は、子どもや保護者でいっぱいだった。
先生たちの迫真の演技を、子どもたちは、幸せそうに観ているんだろうと思った。
大いなるもの、神聖なものと日常が、教員を通じてつながっている。
シュタイナー学校の圧倒的な空間、実践、教員のありように、毎回のように打ちのめされ、反省が頭を覆うけれど、それは卑屈なものではなく、潔いものだと思っている。
ここにくることで、日常とは違う空間に身を置き、揺さぶられることを潔く受け入れている。
しばらく、私は、ここに通うのだろうと思う。
そして、演劇について。
シュタイナー学校の教員の日常の中に、演劇があるということ。
そのことの意味は大きいと感じる。
クリスマス生誕劇のパンフレットを読みながら、はっとする。
そうか…演劇が、大いなるものと日常をつなぐ、もうひとつの世界なのだ。
・・・
今日は、朝教室に行くと、「先生、クリスマスプレゼント!」と、男子たちがテンション高めに寄ってくる。
一人は大きな段ボール箱を抱えている。
箱には、「きけん」の文字。
???
箱を開くと、すずめばちの巣!!
均等に並んだ六角形の美しさ。
あの、近寄りがたい模様の巣は、とてもやわらかいこと。
彼らと、驚きとともに見る。