からっぽ

 今日から、本格的出勤。しゃきーんと目覚める。いいじゃん。

 ふんわり、
 ゆったり、
 ほがらかに、
 とらわれず、
 ゆるゆると、
 しなやかに、
 
 そして、見失わないように。

 そうありたいと、意識的に過ごしてみる。心の中の風景に助けられながら。


 夜は、京都芸術センターへ。飯田茂実さんのワークショップに参加するために。
 
 印象的な瞬間が、ありすぎて、目をこらして、耳をすませて。しみじみした気分。そして、泣きたくなったり。


 気づけば、身体も心も、あたたかく、そして、軽やか。

 なんだろう、このからっぽの感覚は。

 生まれ変わったような。

 “お互い元気に活かしあう”

 飯田さんが届けてくれる、素敵な言葉。

 私は、なぜ、ダンスに魅かれるのが。なぜ、踊るのか。

 まだ見ぬ自分への尽きない興味。生きることへの興味。身体への興味。

 それから、生きる喜びを感じたいから。誰かと、感じあいたいから。

 手のぬくもり。人の手とは、こんなに豊かに、多くを語れるものだということへの、驚き。

 気の流れ。触れることからはじまるダンス。身体との対話。他者との対話。

 闇の持つ雄弁さ。目を閉じることの豊かさ。

 人間の温泉。ぽかぽかとする。安心。信頼。

 触れないこと。少しだけ触れること。たくさん触れることよりも、美しく、感動が多いかもしれない。

 想像できる生き物であるということ。そこに、人間の豊かさがあるということ。

 答えがわかりすぎることは、ちっともおもしろくないこと。

 速いことで、得られるものなんてないということ。

 一日という時間感覚の心地よさ。

 持たないという安心。

 知らないという幸福。

 遺伝子と意識の話。

 身体について、学びたい。

 あまりに、気持ちよくて、本当に、からっぽになってしまったので、ちょっと、心細いこと。

 あれれ、何を考えていたのだったっけ。

 でも、一日の終わりに、からっぽになれるのは、幸せなことなんだろうな。

 いつも、からっぽになれずに、眠りで解決しようとしてしまうから。  

 夜の風が心地よい。

 

 夏が終わっても、大丈夫と思えるのは、秋の風がやさしいからです。