思い立って、学校まで、自転車で行く。9.3km。
行きは上り坂ばっかりなんだ。大住の峠も、車でびゅんびゅんとばしてたのに、自転車だと、相当きつい。
途中で、道に迷ったりしたので、結局50分もかかってしまったけど、着いたことが、久しぶりに嬉しかった。
朝は混むから、車でも30分近くかかる。
高速の料金所で、信号で・・・動かない車の中で、不必要にイライラしてしまうのが、自分で嫌だった。
毎朝、毎朝。
自転車は、渋滞の苦痛とは無縁だ。
渋滞の苦痛と、上り坂の苦痛。
前者は、苦痛が、苛立ちになって、自分の中に蓄積される。または、どこかの誰かに、ぶつけたくなる。他者と、または、自然とseparateされた空間では、どこにもやりようのない感情だけれど。走りだして、風と音楽に助けられるだけ。人が乗っていると、それはそれで、別の空間になるのだけれど。
そして、後者は、頂上まで来れば、消え去ってしまうもの。
今日は午前中出勤。昼は、クラスのお母さんの働いておられるカフェでランチ。ゆっくり本を読んで、文章を書いて過ごす。自分の中から、言葉が、温度を帯びて出てくる感覚が心地よい。
それから、好きな雑貨屋さんでぼーっと。本屋に寄って、じーっと。
そして、旧道を通って、山を下りる。田んぼ道を抜けて、坂道をくだって。いつもとは違う道を、びゅんびゅん。
そして、木津川の堤防を、びゅんびゅん。流れ橋まで。
木津川。
ええとこ、城陽。
田んぼぼぼ。
わき道。
流れ橋。赤い服を着ている子は、中学生(高校生?)4人組。なにやら、一人が、橋からダイブして、川の中で、およいでいる。
そして、残り3人は、ダイブしたいけど、ためらって、ああだこうだいっている。
うえ〜こっから、飛び降りるの?私なら、絶対無理。めっちゃ高いやん。怖いやん。
なんか、「未成年」思い出すわ〜、若いな〜、怪我せんとってな〜と、心の中で思いながら、通り過ぎる。
一番端まで行って、引き返すと、さっきの4人組が、全員川の中で気持ちよさそうにおしゃべりしている。体操服のまま、ずぶぬれだ。
なんとなく目があって、「飛び降りたの〜?」と話しかけると、「はい〜!」と、笑顔で返事が返ってきて、ちょっとおしゃべり。
茶髪の子とか、ほんま、やんちゃな女の子達に見えたけど、みんな見知らぬ私に敬語で話してくれて、なんか、めっちゃええ子らに出会った気がした。
最近、見知らぬ人と、よく町で話す。
電車の中でも話す。
訪れた場所でも話す。
というより、よく話しかけられる。
老若男女問わず。
なんだか、外国を旅しているみたいなの。
私が、オープンなのか、社会がオープンなのか、わかんないけど、そういう、日常の光景が、暮らしが、愛おしいです。
甲本ヒトロが言ってた。
「幸せを手に入れるんじゃない。幸せを感じる心を手に入れるんだ。」って。
夏休み前まで、内に、内にと、閉じていっていた心に、風が吹き始めた。
頑なさをほぐし、ふらふらと揺れて。
自らの心の声さえ、見失ってしまいたくなかった。でも、見失おうとしていた。
インターネットによる情報も、元気をくれるものから、生命力を奪い取るものになっているような気さえした。そんな気持ちは、今もしている。
自分の身体を聞く。心を聞く。それをすごく、求めているし、大切だと思っている。
そして、そうするためには、他者がいる。環境がいる。
やっと、やっと、言葉があふれてきて、ノートがいっぱいになる。
よかった、まだ、私、生きている。血が通っている。感じる心を持っている。
何も変わらないようで、でも、何もかも変わった。そのことが、幸せ。
そんな夏です。