ありがとう、平盛小学校。

4月2日。離任式。ついに、この日がやってきた。

 離任式で、何を話そうか…

 着任の頃から、そんなことを、ずっと考え続けてきた気がする。特に、この1年。

 結局、今日の朝まで、まとまらなかった。

 入学式のときと同じ、白いツーピースで出勤。

 1年1組の子ども達と初めてあったときの服だ。

 車の中では、いつも音楽を聴くのだけれど、今日は、ボリュームをゼロにしてしまう。

 ただ、ただ、自分の心の声を聴きたかった。

 この別れの日に、私の頭の中を流れる言葉を感じたかった。

 学校への出勤…、このルートを通って、学校へ行くのも、今日で最後だ。3年間、通いなれた道。

 なんだか、学校へ着く前から、もう、涙が出そうだ。

 学校へ着くと、1年1組の窓から、子ども達が騒いでいるのが見える。

 玄関で、Sちゃんが、「せんせい、どこいってたん?」と聞く。

 私の服装がいつもと違うからだろう。

 「せんせい、はい。」と言って、Eちゃんが、手紙とプレゼントをくれる。

 もう、子ども達の姿を見ただけで、泣けてくる。

 「ごめん、もう、みんなに会ったら泣けてきて、いかれへんわ。」と言いながら、いつものごとく、笑顔満開で、走り回る1年生と戯れる。

 それから、校長室へ。

 離任の先生達が、集まっている。

 平盛の歴史を創ってきた先生達だ。

 4年、5年、6年、7年、9年…と、私より、ずっと長い間、平盛とともに生きてきた先生達だ。本当に、頭が下がるし、感謝をする。

 そういえば、3年前、着任した日は、離任式の日だった。花束を手に、去っていく先生達を、何か遠い人のように感じていた、あの日。

 校長室で、何気ない話をしているだけなのに、またまた、涙腺がゆるんでくる。

 その後、職員室で、校長先生から紹介。

 ここでも、涙と震えが止まらない。身体がこわばって、声がうまくでない。

 他の先生達のあいさつ、その先生達が築いてきた歴史、平盛の職員室の先生たちのあたたかさ・・・

 込み上げてくるものを、どうしていいかわからない。

 1人、一言ずつ、簡単にあいさつ…

 「今、やっと平盛のあたたかさがわかった。もう、ここに帰ってきたくても帰ってくれないのが、寂しいです。」

 多分、そんなことを言ったのだと思う。

 そして、体育館へ。

 F先生の姿が目に入ると、また、一気に涙腺がゆるむ。

 今年1年、一緒に、苦しみを分け合った先生。おいていくような気がして、先生の寂しさが伝わってきて、泣けてくる。

 最後の校歌。

 歌いたいのに、声が出ない。歌おうとすると、泣けてくる。

 ああ、1年目の1学期の終業式で、初めて校歌を弾くことになり、前日、遅くまで残って音楽室で練習したなぁ。

 下手くそなピアノにもかかわらず、本番が終わったあと、校長先生が、子ども達に、紹介までしてくれた。

 それから、壇上へ。

 ああ、うちのクラスの子ども達が見える。

 10人くらいしか来ていない。最後に全員の顔が見れなかったのは、残念。6年生(初めて受け持った子ども達)も、少なかった。春休み中だし、仕方ないね。

 ・・・

 教頭先生から、一言ずつ子ども達に向けてのあいさつ。

 教頭先生のあいさつから、もう泣けてしまう。

 なんていうか・・・

 その先生が、ここで生きてきた年月の重みが、ずっしりと伝わってくるのだ。

 みんな、勇敢に、戦ってきた、戦士だ。運命的に、この月日を、この場所で、共に過ごし…

 ・・・

 私は何を語るのだろう…

 その答えは、今朝、うっすらと明らかになった。

 踊るの?

 ううん、踊らない。

 何か、伝えたい話をするの?

 ううん、そうじゃない。

 何か、詩を読むの?

 ううん、そうでもない。

 何か、何か・・・

 ううん・・・何もしない。特別なことは、何も。

 それが、私が出した答えだった。


 昨夜、糸井先生が、旅立つ私に労いと応援のメールをくださった。その中に、こんな一節があった。

 では、明日の離任式、泣いてあげて下さい。
泣けばいいと思いますよ。
涙と共に、平盛小と、いい別れをしてきて下さい。

 メールを読んですぐには、わからなかった。「いい別れ」なんか、できるんだろうか…。涙も出なかったら、どうしよう。

 でも、今日の朝、全てがわかった。
 
 そうか…泣けばいいんだ。その自分を、そのまま見せたらいいんだ…。

 
 ありのままの私。それは、平盛の子ども達、先生達、そして、学校、地域との別れを目の前にして、ただただ、泣いている私。

 この悲しみ。この途方もなさ。そして、この感謝。

 こうして、大の大人が、声が出なくなるくらいに、泣いている姿を、そのままみせる、それが、私が伝えたいことだと思った。

 人生には、そういう瞬間があるってこと。

 こういう別れがあって、

 その別れに、おいおい泣くことがあるってこと。

 そういう姿を見せたらええんだ、見せるべきなんだ、と思った。

 これが、人間なのです。これが、生きる悲しみであり、喜びであるのです。


 「先生は、初めて先生として、この平盛小に来ました。初めて、この体育館で、エネルギーいっぱいのみんなと出  会った日のことを、ついこの前のことのように思い出します。

 卒業した6年生のみなさん。みんなは、先生が初めて、担任した子ども達でしたね。初めはうまくいかなくて、こ うして、今のように、みんなの前で、泣いたこともありましたね。でも、とっても楽しい1年でした。ありがとう。

 そして、1年1組のみなさん。先生は、みんなの笑顔が大好きでした。ありがとう。

 それから、ここにいる、平盛小学校の子ども達、先生達。

 先生は、みんなの笑顔が大好きでした。

 この中にいる何人もの人が、先生にこんな質問をしました。

 “せんせいは、なんでせんせいになったの?”

  そういうときに、先生は、いつもこう答えていました。

 “みんなに会いたかったからだよ。”

  みんな、だれかに会いたくて、生まれてくるのだと思います。

  みんな、だれかと出会うために、幸せになるために、生きているのだと思います。

  先生は、みんなと出会えて、本当に幸せでした。
 
  少し、遠いとこからですが、みんなのことを応援しています。

  元気でね。

  ありがとう。」

  最後、子ども達がつくってくれた花道を通って、お別れ。「ありがとう、さよなら」のメロディーが、流れる中、体育館をあとにする。

 
  色んな子ども達、先生達から、お母さん達、手紙やプレゼントをもらう。そのたびに、また号泣…。もう、多分、今まで生きてきた中で、一番たくさん泣いた気がする。

  名残惜しいけれども、ここでの出会いの喜びを、勇気にかえて、新しい学校で、頑張らなくちゃね。

  それが、去るものの使命です。

  ここで何を学んだかが、次にいく学校でこそ、明らかになるのだから。覚悟をきめて、頑張ります。

  最後・・・通りなれた団地の道を、車で通る。

  春、夏、秋、冬・・・いろんな季節のいろんな表情。

  涙が、あとからあとから出てくる。

  車を走らせながら、声をあげてなく。

  それほどに、濃い、濃い3年間だった。

  そして、思う。

  この涙が流せて、よかったと。

  1年目。何もかもうまくいかなくて、教頭先生に、「何が一番しんどいの?」と聞かれて、あふれた涙。

  正義を通したくても、全く通らず、弱い者に冷たく、正しい者を否定する…そんな子ども達をどうしていいかわからなかった。

  授業中、発表したTさんの意見を、ことごとく馬鹿にする男子。

  「なんで、がんばっている人に、そんなことが言えるんや??」

  どうしようもない怒りで、子どもの前で、泣いた。許せなかった。

  2年目。運動会の練習。ここでも、声が出ないYさんが、精一杯頑張った姿を、否定した男子に怒りが爆発した。

  「どうして、精一杯頑張っている人に向かって、そんな心ない言葉がいえるんや??」

  

  感情にまかせて、怒ってしまう…そんな自分を放課後の教室で省みて…子ども達が帰ったあとの教室をほうきではきながら、自分の力の無さに泣けてきた。

  

  3年目。思い返せば、本当に、涙の量は、最も少ない年だった。笑顔いっぱいの1年生。大変なこともいっぱいあったけど、ただ、ただ、かわいらしく、楽しい人達だった。毎日、怒ってたけど…。

  
 
  最後の、涙。いい涙です。泣けてよかった。

  泣くほどまでに、頑張れてよかった。共に生きられて、よかった。

  1年目、折れずにやれたから、今、この涙が流せるのだ。

  こんなに、幸せな気持ちで、涙を流せて、本当によかった。

  本当に、私は幸せ。

  平盛で出会った、全ての人達、本当に、本当にありがとうございました。

  出会えたことが全てです。

  教師人生のふるさと、平盛。

  ありがとう、ありがとう。

  今日の日はさようなら・・・また会う日まで。