トライアングルの思い出。


 今日は、学校を16時半過ぎに出て、『のむらまこと旅する音楽』という企画@アートスペースココへ。

 JRの新快速で、一番先頭の列車だった。びゅんびゅん流れる景色を見る。イギリスの電車も、マケドニアの電車も途方もなくさびしかったのに、日本の電車は、そんなことはないね。

 今日はおすぎさんと待ち合わせて一緒に行く。是非、野村さんという人、野村さんの創る場、そして音楽に出会ってほしかったので、誘ったのだ。

 会場につくと、色んな人に声をかけられる。みんな、ドリームコンサートを観に来てくださった方だったり、築港ARCのトークコンピレーションでお会いした人だったり。こうした出会い、再会が嬉しいなあ!

 野村さんと上田さんの、話が心地よい。自然体で、肩肘はらない話し方。こういう話し方の中でこそ、たどりつける感情もあるのだろうと思う。教育現場で、こういうふうに話せる人を、私はたくさんは知らない。

 2度のピアノにも、どこか遠くへ連れていってもらった感じ。ここから旅する音楽って、そういうことなんだね。

 後半は、参加した人みんなで音を鳴らす。

 ヒューさんの相撲の体験の話から発展して、楽器相撲をやったり見たり。それから沈黙3分・奏でる時間10秒という、相撲というスポーツと似た構成で演奏してみたり。その後、キーボード・コレオグラフィーの話題になって、「一音」を鳴らすまでを、詩のような振り付けにあわせてやってみる。

 私は、「一音を奏でる楽器」に、トライアングルを選んだ。

 小学校5年生のとき。私は、器楽クラブだった。

 何かの曲で、アコーディオンがやりたかったけど、じゃんけんで負けてしまって、私の楽器はトライアングルだった。

 「もっと難しい楽器がしたいのに」と思いつつ、でも、そんなことは到底言えない子だったので、もくもくとトライアングルを叩いた。

 発表会でも。他のみんなが脚光を浴びる中、私は、やっぱり、トライアングルを、まっすぐに叩いた。聞こえているか、いないのか。それすらもわからなかったけれど。

 発表会が終わってから、最後のクラブで、H先生が、私のことをほめてくれた。目立たないトライアングルを一生懸命したことを確かほめられたんだった。ちゃんと見ててくれたのだな〜と、切なく、誇らしく、嬉しかった記憶。

 「一音」と言えば、そう、そのトライアングルの記憶。三角形で、か細くて。そういう風にしか自己主張できなかった自分とトライアングルは、ちょっと似てた。

 一音を奏でる・・・その一瞬にかけるというのは、すごく、勇気がいる。緊張もする。私は、きっと苦手だ。

 でも、音楽をやっていたころは、結構、そういうことにも一生懸命だったなぁ。理想を求めることに燃えてたから。高校時代は。

 世界を変える一音。

 振付けられるって、おもしろい!

 踊りながら演奏するって、おもしろい!

 そして、今日の音楽が、あの時間・あの空間でしか生まれなかったものだ、ということが、とってもとってもおもしろい!

 色々、探る癖・気にする癖から解放されて、もっと自由になりたいと、感じながら帰りました。