ぐ〜んと、お腹の底に、何かがうごめいているような気分です。
日本語には、「腹がたつ(怒る)」とか、「腹を据える(覚悟する)」のように、腹に精神が宿る表現が多いです。
私も、心は、胸ではなく、腹にあるように思える。
緊張しています。明後日は、運動会。
今日、糸井先生が、差し入れを持って、夜の職員室に来てくださいました。少しだけ、職員室の椅子に座って、話をしましたが、なんだか、昨年度がフラッシュバック。こうして、隣の席で、ああでもない、こうでもない、と運動会の相談をしていたなあ!なんて。
去年の運動会は、本当に、夏休みの頃のことから、記憶に焼きついています。肌が覚えている感じ。子ども達が、どんな表情で、どんなふうに取り組んでいたかも、はっきり覚えています。そして、私の感情も。糸井先生の指導されている姿も。
今年、運動会の取り組みをしながら、その記憶を、ずっとたどっていました。今年は、1年生担任なので、やはり、運動会への思い入れは、また、別物です。
応援団担当ではあるけれど、また、去年とは違う。
去年は、相当しんどかったけど、毎日がドラマでした。子ども達と、ほんまに、ガチンコやりあって、運動会を創っていったことは、大変でも、おもしろかった。6年生を担任するから、味わえる喜びだなあと思います。
なんだか、無償に懐かしくなり、去年の学級通信や、子ども達の運動会後の作文を引っ張り出してきて、読みました。ちょっとうるうる。
ああ、緊張する。運動会。
今年の運動会も、もう明後日。
ポニョは、ようやく、子ども達の力で、演技を完成させることができました。でも、まだ、完成ではないです。あとは、どこまで、演技を楽しめるか!明日は雨で、体育館での指導になると思いますが、もう一度、この運動会で、子ども達に感じてほしかったこと・・・「手っていいな」「足っていいな」「からだっていいな」「友達っていいな」「生きてるっていいな」について、話したいと思います。もちろん、こんなことは言葉にはできなくて、この表現活動を通じて、子ども達が、感じ取ってくれることこそが、全てなのですが・・・
でも、ひとつだけ話をしたことがあります。
ポニョの映画に出てくる「ひまわりの家」のおばあちゃん達にことです。
おばあちゃん達は、みんな車椅子にのっています。
そのおばあちゃん達の気持ちを歌った歌があります。
もういちど 自由にあるけたら
おもいっきりお掃除をして
お洗濯をして お料理をつくって
お散歩に出かけよう
晴れたらなんて 明るいんだろう
お日様も笑っている
雨の日もスキ おしゃれな雨傘
レインコートも着てあるこう
おむかえはまだ来ないから
その間に一寸だけ歩かせて
もういちどだけ踊りたい
そよ風になって
クルクルまわる 手をつないて
背すじをのばして ヒザをのばして
足をはねあげて スカートがふくらんで
みんなニコニコ笑ってる
おむかえはまだ来ないから
マドのガラスをふくだけでいいの
もういちどだけ踊りたい
そよ風になって
・・・はじめて、この曲を聴いたとき、思わず、涙ぐんでしまった。
そして、自分のおばあちゃんのことを思いだしました。
おばあちゃんは、私が6年生のときに倒れました。脳梗塞で。だから、今年で、13年、右半身が動かない暮らしが続いています。ちょうど、13年前の9月の終わりでした。
農作業が大好きだったおばあちゃん。ずっと、「体が動かないなら、死んだほうがいい。」と言っていました。動いていた人間にとって、動けない苦しさは、想像を絶するものだと思います。
私は、ダンスに特別な思い入れがあります。もし、体が動かなくなったら、私は、生きていけるやろうか、と、急に恐ろしくなったりもします。
さて・・・色んなことがめぐる、この歌ですが・・・
子ども達に、みにきてくれるおじいちゃん、おばあちゃんのことを話しました。あなたたちのように、おどったり、とびはねたりはできない。だからこそ、みんなの元気に踊る姿から、エネルギーをもらえるんだよって。観る人を、元気にするようなダンスをしよう!
そんなことを考えながら、ポニョの映画の深みを感じます。
「手足」を手に入れて、人間になる、現代版人魚姫のポニョ。手をつなぐことの素晴らしさ、全力にかけぬける喜びを伝えるポニョ。
そして、体の自由さを失い、ささやかに生きるひまわりの家の人々。ポニョや宗介の姿に目を細める姿。
さあ・・・1・2年生の子ども達だからこそ、表現しうるバイタリティー。どこまで、引き出せるでしょう?
「玉いれ」の赤い玉が、転がるのを見て、「ああ!ポニョや!」「ちがうで、いっぱいあるから、ポニョのいもうとたちやで!」という、子ども達!
女の子はポニョの赤、男の子は宗介の青の軍手をはめて、「せんせい、教室が海みたいやな〜」という子ども達!
そろえることの美しさと、ふぞろいのユニークさが、キラキラと輝きますように・・・!