卒業随筆。
自分自身の変化や成長を見つめ、そのきっかけとなるエピソードをもとに、随筆を書く。
この学習をめぐって、いろんなことが起きる。
彼ら自身が、自分という人をとらえ直そうと、過去と現在をいくつもの線で結びつけようとする。
お家の方にお願いして書いていただいた手紙を補助線にしながら、
自分という物語を編んでいく作業。
私自身が、過去の彼らと出会い直すこともたくさんある。
時には痛みも怒りも語られる。
そうした、いろんなことが起こってくることへの覚悟が、私にはどれほどあるだろうか、と思う。
いろんなことが起こってきた時に、驚くほど冷静な私がいる。
それは、冷静というより、鈍感であるかもしれない。
ドライなのかもしれない。
とにかく、もう、ずっとずっと、いろんなことを感じられなくなっている。
それは、処理がうまくなっているということなのかもしれない。
感じなくても、うまく立ち回れる方法を、身につけたということなのかもしれない。
それが、いいことなのかはわからないけれど、
決定的な何かを失ってしまったような気もする。
でも、そもそも、その何かが、どんなものであったかさえ、私には思い出せない。
その何かのあった場所の空虚感が、ほんの少し自分を責める。
でも、私には私が向かわなければならない問題があり、
そこに向き合おうという気持ちも湧いてこない。
きらいな人が増えた、という君。
大人になると、きらいな人、増えていくんだよって。
それも、ひとつの真実。
その真実を、知っていくことの痛み。
でも、その中で、たった一人でも、信頼できる人がいるといいね。
そんな人に出会えるといいね。
そういうしか、ない。
編まれていく物語の傍に、
語ることさえできない物語が叫びのように存在する。
その光景を、淡々と見るわたしがいる。
そして、見てはいるけれど、見えてはいないのだろう。
決定的に何かを失っていく時の音楽は、
無音だと思う。
言葉が、ふわふわと宙を舞っていく。
すべての休日に予定があった11月が過ぎ、12月になった。
明日は、ひと月ぶりの、何もない日。
どうしようか、と思っていたことも、扉が開くように決めるタイミングが訪れる。
今朝の夢は、悪夢だった。
道がとぎれてしまい、海を私と弟背負い、渡っていく母を不安気に見守る夢。
そして、弔いと青空。
くねくねとした海沿いの道を移動する夢を、何度も、何度も見る。