自由

本日、夏休み最終日。



明日は、初日ながら、「社会を明るくする作文コンクール」の授業。6年生。
犯罪や非行を防止する地域社会づくり、あるいは、犯罪や非行からの更生を支える地域社会づくりについての作文コンクールだ。
こういう機会を、どうとらえるか。
自分自身が罪について、どんな意識を持っているかを問われる気がする。
それは、決して私と無縁ではなく、私自身も罪の意識と戦ってきたことが重要になる。
「明るく」といっても、はなやかな、健やかな明るさだけではなく、暗闇にぽっと灯るろうそくのような明るさだって、あるだろう。人生の暗闇の中でのそうした瞬間が、その人の明日を支えることがある。
闇に身を置くことが、光の尊さを感じる経験になる。


「許し」。
ジャン=バルジャンを救ったミリエル司教。
アメージング・グレースに救われた高校生のわたし。
この夏、北海道で三浦綾子を訪ねた旅の記憶。
そういうことを、ぐちゃぐちゃと思い出しながら、誰もいない職員室で明日のワークシートを準備する。
私の思考回路は全くスマートではないので、本当に寄り道ばっかりしながら、時間がかかる。



それでも、夏の初めの心模様とは、全く異なる夏の終わりを迎えられることに感謝して。
充実した秋にしたい。




夏休みに入る日に聴いた曲は、「いのちの名前」。


「秘密も嘘も喜びも
 宇宙を生んだ神さまの 子供たち」(『いのちの名前』作詞:覚和歌子)



この夏に、何度となく聴いた「いつも何度でも」


「こなごなに砕かれた 鏡の上にも
 新しい景色が 映される
 
 はじまりの朝の 静かな窓
 ゼロになるからだ 充たされてゆけ」(『いつも何度でも』作詞:覚和歌子)


そして、夏休み最終日の今日は、「ふたたび」を。



「暗い道に迷い込み
 一人ぼっちで 泣いてた私」
「信じて進むときめたときに 
 扉が開いた その先に光が
 私を照らした」(『ふたたび』 作詞:鈴木麻実子 )





光と闇の実験の最終章は、夏の終わりとともに。
ああ、私は、今、すごく自由だ。

「自由とは、状態ではなく、行為」


自由の森学園の本にあった言葉。
昨年冬のノートより。
たくさん文章を綴ったノートも、この夏、使い終えた。


学校をつくりつづける―自由の森学園の人と空間

学校をつくりつづける―自由の森学園の人と空間