透明な疑問符

花びらが一枚、一枚、風にのってそこから離れ、飛び立っていき、最後には横たわる枝が残っている。
そんなメロディーを永遠にループさせている。
今の季節と重なり合いながら、日々を彩るおんがく。
私がこの音楽で踊るなら、枝になるのだな、と思う。
3分31秒で、枝だけになる。
もしかすると、もう、枝だけなのかもしれない、と思う。
もう少し時間が経たないとわからない。



そもそも彩というのは、なくてもいいものなのだ。
それでも人生の彩のために残しておくものもあると、『サマーブランケット』の主人公は言っていて、
その件は私を泣かせたものだった。


ぽつぽつと決まっていくこの夏の予定。
私がこの夏に見る景色を、私はまだ知らない。
木星との1年の旅が終わる。
友人が、5月から1年、サバティカルでニューヨークに行くという。
その間にニューヨークに行けるだろうか。
行けるといいけれど、旅立つ勇気を持てるだろうか。



去年の4月に聴いていた曲とは、また別の曲を聴く。
備えあれば憂いなしというが、私は備えが全然できない。
無防備で、たくさん忘れて途方にくれるし、無闇に傷つく。



ただ、音楽の備えだけは、不思議にある。
ちゃんと、救われるように、音楽は私のそばにいてくれる。
備えというよりも、不意にあらわれる。
驚きだ。
そして、裏切ることのない友人のように、そこにいる。



日に日に話すことが難しくなって、しばらく黙っていたいと思うけれど、そうもいかない毎日は流れていて、
気をとりなおして言葉をつかまえる。
少しの間黙っていて、それで話したいことが見つかれば話せばいいと思う。
生まれ変わるための沈黙。




今日、掃除時間に聴いたこどもたちの会話が、あまりにも透明で、その疑問符を、私はこっそりもらっておいた。
答えの想定できる質問ばかり投げかけている私に、
彼らの問いは、美しい。


言葉を教える人であるならば、言葉を書き続けないといけないと、
いい聞かせてみる。
言葉で世界は変えられると、いい気になっていうけれど、
そんなこともできない。ただ、今夜もちっぽけな私の世界をぐるぐるかき回してみるだけ。