言葉に何ができるのか。

今日から一気に新年度モード。



いいものをつくりたいと思うと、なんでもギリギリになる。
形にするまでに時間がかかる。
あとは、人に頼ろう。



これまで、ちょっとずつ、ちょっとずつ自分に蓄えてきたものを、
一番創造的で幸せな形で職場の人と分け合っていきたい。



ファイル類はグリーンを選ぶ。
葉っぱの色。
言の葉。



卯月。
大学生の頃、Coccoの『卯月の頃』という歌を、何度も聴いた。4月に。
この曲を聴くと、その頃の大学寮の小さな部屋とステレオのある風景が浮かぶ。
春の夜はいくつになっても、時間が止まってしまう。


岡野さんの短歌を読み、ほんの少しだけほっとする。


16歳の春、高校に入学し、初めての選択美術の授業。
美術教師だった幸田先生は、最初の授業で、自分と絵の関係を話してくれた。ピカソの青の時代の作品を見せながら、ピカソの境遇や表現に触れ、それらが自分自身を励ました経験も話してくださった。涙を流しながら、心底美術を選択してよかったと思ったのだった。


最初の授業で、私は何を話せるだろうって考える。
言葉に何ができるだろう。
言葉に何ができただろう。
人はなぜ言葉を学び、
言葉でどんな世界をつくろうとするのだろう。
私は言葉にどのように救われ、
そして、言葉によって生きられたどんな人生に立ち会ってきただろう。
言葉には何ができず、どんな時に言葉は無力で、どのように人の心を傷つけたことがあっただろう。
そして、それでも言葉には、何ができるだろう。



私自身になくてはならない言葉。その授業を、どんなふうに始められるか、考え込んで。
全然、全然、進まない。


ただ、とにかく今年は、書き続けようと思う。
こどもたちに、豊かな言葉の使い手に、表現者に、自由な書き手になってほしいと思うならば、私自身が常にそれらと格闘していたいからだ。書くことでもって人生を生き直す経験をしている身だからこそ、伝えられることがあるはずだ、と思う。


ブログも書くし、同僚向けの文章、子ども向けの文章をちゃんと書こうと思う。実践を記録する、ということも、大学院を出てから放棄してたけれど、少しずつ取り組もうと思う。


魂を込めた仕事というのがあるのなら、ほんの少しだけでも、そんな仕事に近づくように。今年は、そんな年にしたいし、きっと、そうできる瞬間も訪れるはずだ。


高校生の春の美術の授業。
絵に救われた人の話は私を幸福にした。
その授業のことを、強く強く思い出す春。


そう。私は、ずっと芸術家に憧れている。